#1 オム道
博多では屋台をはじめ居酒屋などでオムレツを注文するのが
3回に2回は僕の定番になっている
納豆オムレツとか明太子オムレツなど,箸に親しむメニューは数多い
ケチャップを垂らした後にマヨネーズを細く綾のように掛けるのは
眼でも美味しいと思わんばかりだ。

家のそばのEngelsburger通りを走る345番のバスに乗って
およそ15分,汽車の駅に着く

通勤時間でも人気のまばらな広場に,毎週木曜に市が立つ
僕はたんぱく質の調達にそこへちょくちょく赴く
ハムや七面鳥,鶏どっちゃり買い込んだら,隣の軒の卵屋さんへ
赤だまを10個,多いときも20個で安心
「これ割れてるからサービスするよ」とか言いつつ2〜3個くれたりもする
ネオ・ビジュアル系って得するもんだな
とか寒い風の中でほんわか気分になった
わが身に宿る美,ネオ・ビジュアルの美

そして帰宅
購入物の整理もそっちのけで
オムレツを屋台で見せて貰ったオムレツとは別の物体が,
この掌の延長にあるフライパンに横たわっていく
あれから思い立てばオム,卵を見かけたらオム,と
オムレツに挑んではいるものの,なかなかオムには出遭えない
オム・マニ・ベッメフム
確かチベット仏教で唱える経文にこういうのがあったかと思う

密かにオム道の五体投地は続く。

 

 

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#2 パン
テレビCMで,ふわっとした食パンとかが出てくるのが思い浮かぶ
ふっくらした白い肉とでも呼ぼうか
焼き上がりの柔らかいパン
溶かしたバターまたはオリーブ油とかに軽く浸してパクッ!
楽に楽しむ味を思い出す

詳しいことは今から調べるつもりだが
どうやらドイツの人々は
「パンは硬いもの 硬くなければ栄養もなし」
と考えているらしい
確かに多くのパン屋さんは,フライパンほどではないけれど
乾パンを思い起こさせ兼ねないような
噛み応えの豊かそうなパンも陳列している
断っておくが,食べられる
但し,日本のTVCMのイメージを頭に描いていたら
少々面食らうかも知れない
味も悪くない
しかし,硬派お誂え向きの歯応えは否めない
柔らかいものもあるのだが,外側がカリカリッとしていたりする
パッと見は硬そうだ
つまり,見た目も中身もふわふわしているパンがどちらかというと
少ないという印象を受ける
「パンがだめならケーキにすれば?」と勧められてしまいそうだ
ケーキは別の機会に触れたい
ここまで徒然に綴ってきたが,最近ソフト系に出遭った
フラーデン・ブロート,英語ならフラット・ブレッドと訳すのだろうか?
その名の通り,平らなパンで,円形だ
トルコ系やギリシャ系のお店で売っている
直径が30pはあるだろうか?
「あるところには,ある!」
と,見つけたときには感動した
ピタとも呼ばれるこのパンは大小さまざまあるようで
中が袋のように空いたものもある
肉や野菜などをはさんで食べたりもする
もしかするとこのまま東へ進むと,やがては日本で肉まん餡まんと呼ばれる包子や
中につめもの(餡)のない饅頭(まんとう)になるのだろう
硬いパンもパンとしてピタにつながり,それはマントウになり
その皮が糯米(モチゴメ)になると饅頭に変わり
ヨモギが参加して草餅になったりする
無理なこじ付けのようでもあり,地理上の必然のようでもある
余談だが,韓国では饅頭と書いて「マンド」と読み
お店で注文すると餃子のようなものが出てきたと記憶している
こうして見ると,日本ではあまり見られない硬いパンも
形や名前を変えてこのHPを見ているあなたの食卓に上がっているのかもしれない
最後に改めて断っておきたい
ドイツにももちろん柔らかいパンはある
この文章を書く傍らで僕の小腹を満たしてくれたミルクパンがそのひとつだ
そろそろ久しぶりに歯にいいパンでも調達しようかな
電脳だけでなく,脳にも適度な刺激を!

 

 

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#3 ビールの海 (2001.07.23)
「今年は平年より早く梅雨が明けて,もう暑くて!」
先日,電話口でそう言ったのは,このHP作成者のKenny氏
彼の言葉を聞いて,
「でも,お盆まで1ヶ月以上はあるからそれまで海で遊べるよ!」
と間髪入れずに返したのが,この「どコのどイつだ?」執筆の文吾
期待以上に早い夏と,期待させない程涼しい夏とが
電話回線を介してせめぎ合う

気象学者の中には,梅雨と春でも夏でもなく独立した季節として
扱う向きもある,と以前ラジオで聞いたことがある
四季でなく五季
もっとも,北海道などはもともと梅雨が来ないと聞くから,四季のままだろう

梅雨が嫌い,な訳ではない
されど,もし天気を司る神様が僕の願いを聞き入れてくれるならば
一言申し上げたい
「夏至とその前後一日ずつ,合わせて三日間は晴れさせて下さい」と
一年のうちで昼が一番長い日が,往々にして雨雲で日没時刻を待たずに暗くなる
池の鯉は育っても行きずりの恋は雨に道を断たれる
鮮やかな紫陽花も,濡れては崩れる宿命を遠めにしつつ
空咲きの己に心悩まそう

そしてあっさり夏が来る
過ごしにくい時期が長い

過ごしにくいながらも,海で水と戯れるのが好きだった
さらに秋には再び「熱さ」欲しさに焚き火なんぞに興じる
海と言えば,僕にこう言う人がいた
「君のライブを見に行くのは,いつもそこに在る海に会いに行くみたいなものだ」
今や,海まで200Kmはあろうか,内陸のルール炭田に住む僕の心にも
いろいろな海が彩さまざまに広がりつつ,数知れぬ思いの綾が
波となっては時に静かに,時に激しく現れる

曽て,海でデートしたことがある

夜中に街を離れた二人は,夜明けを待たずに浜辺に着いた
外海の波は,音だけからでもその高さが聞こえて来る
空が白み始めた傍らで,車窓を叩く音

「あの,ここねぇ,うちの駐車場なんだけど・・・・・・」

近くを見ると,海の家
どうやら,そこのおばさんのようだ
日の出を見に来ただけ,と告げその場をやり過ごす

昨日から融け合っていた水平線から離れ始めた空は,
淡い紅を挿しながら,大波小波を車窓越しの僕達に寄せて来た
至ってミドルテンションの二人
そして,再び叩く音
「さあ,日も昇ったよ。出るか,残るかどっちか決めて!」
う,わかったよ,おばさん
海の家,利用させて貰います
あとで着替えに行くから,じゃあ!・・・・・・
折角素敵なひとときを迎えていたのに,水を差しやがる
ま,仕方ないか
海水浴の季節だし,かき入れ時なんだろうな
と,少々不満ながら納得し,小一時間は車内で休憩しただろうか?
やがて,車内はたまらなく暑くなり,半ば日なんするかの如く朝日の当たる
海の家に入っていく二人だった

(続)

「夏の思い出を描こうと,クレヨンを探してみたら,君に遭遇した」

****************************************

海の家は,案の定ひんやりとしていた
僕達二人が今日の一番目の客のようだ
そりゃ,日の出前から駐車場でスタンバっていたと言えばもっともだろう
こんな筈ではなかったのに

ただ海パンに穿き替えただけの僕は,先に出て場所を決めた後
こぶしで砂を握ったりしつつ過ごした
早い時間にも拘らず,陽射しはこの僕を名指しして来たかの如く
皮に膚に突っ込んで来る
そろそろ赤信号かな,と思ったとき,
お待ち兼ねのお相手登場!

「おまたせ!」
そこに現われたのは,派手目の水着で身を装う彼女
意外と悪くない
海でのデートなんて,これが最初で最後なんだろうな,多分
予想以上に綺麗なお姉さんを前にして,錯綜する現代思想
年の差が気になる頃だったのか,彼女より若干年上の僕は
「はしゃいではいけない ここはクールに行こう」
などと策を練る一方,水面下ではテンションが上がって来る
何はともあれ,水着を用意しておいてよかった
ラッキー!

海に入ったり出たり,一挙手一投足,ドキドキ
でも淡々とした男を演じようと努力するものの
海の水は今にも根を露れにさせようと打ち寄せたかと思えば
クール面を剥ごうと返して行く
砂も交えて三位一体で遊ぶ中,どこかポジティブにリラックスして来た
太陽に溶け込みそうになったのにはっと気付いて海の家にビールを買いに行った
流石に塩水ばかりじゃふやけてしまう

ビールはキンキンに冷えていた
タイムリーに癒しの液体だった
二人は缶に口を付けた
彼女は一口二口飲んだかと思えば,いきなりそのビールを膝めがけてジャーッ!

「わたし,こーゆーの,好きなんだ」

ビールは素敵な素足を素朴に伝わっていく
妙な趣味があるんだな,この娘
今の僕なら好感覚と思いこそしそうな彼女の行為は
弱冠廿才ほどの青い僕には,ある意味キワど過ぎたようだ
「こいつ,一体どんな奴なんだ?」
さっきまでの熱情とはうって変わって,冷静に構えてしまった
わがままな理性に翻弄されるばかりの僕

今度はその足に砂をまぶしていた
さらに妙な気持ちになった
冷えたビールの作用も手伝ってのことか,僕のテンションは低めに変化した
リラックスしていた二人だ
たまたま,それが予期せぬ方向に突出して来ただけだった

今思えば,彼女との海での出来事は
「ビールの海」に既に通じていたのかも知れない
当時は,十年後の自分などに気付くことはおろか知る由もあろう筈なく
ビール絡みの脚に違和感を抱くのみだったのも仕方ないかも

元気だろうか,今も彼女は?
今年の夏も,海ぶどうや海ほうずきのように,派手こそないにしろ
海に馴染むお姉さんでいてくれることだろう

今度は,一緒にビールの海で泳ぎましょう

 

 

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#4 東習志野八丁目
僕がまだ小学校に上がる前か上がったばっかりの頃だったろうか?
親に連れられて,津田沼駅をよく通った
当時は国鉄津田沼駅と呼ばれた方だ
ちなみに,私鉄の京成津田沼駅というこちらはこちらで
地域交通の要衝みたいな駅もあるが
二つの駅が隣り合わせと呼べるのは
USA的感覚か北海道的感性ぐらいのものだろう

さて,今やJR津田沼駅となったこのステーションには
北口と南口があったかと思う
今回は北口を思い起こしてみたい
つい最近まで歌と奏でるバスカーの要所としても知る人ぞ知る津田沼駅
北口のコンコースにも多く見られた
実を言うと僕もバスいていたらフィリピン人御一行様に声を掛けられたことがある
恐らく僕は英語の歌詞でもひけらかしていたに違いない
十年ほど前の,生暖かい風が吹く夜だった

そのコンコースの下には,バス乗り場がある
バスターミナルと呼ぶ方が適切かもしれない
ここから遠くは利根川辺りの木下駅行きなどが出ている
以前は千葉行きや四街道行きというのもあったが,現在も走っているのか
あまり噂は聞かなくなった

今でこそ立派な北口だが,僕が親に手を引かれていた頃
そこは飲み屋街だった
それはそれで素敵だった
少なくとも僕はそう記憶している
もしかすると「気憶」
いや散り散りの気の屯ろするだけの「気億」かも
現在の北口からは,すべてが幻にしか思えない
「気奥」となろうか?
これだけ僕に筆を滑らせるその曽ての北口にも,バス乗り場はあった
駅を背にして左側にあった

整備された今のバス乗り場を先に識ると,以前のバス乗り場をそれとは
認めがたい人も少なくないだろう
日本の住居の庭を「猫の額」ほどと譬えるならば
こちらのバス乗り場もそう言われ兼ねない気配がある
迫力のある狭さだ

そこから,おそらく現在とさして変わらない数の行き先へバスが発ち
それらから再びバスが容赦なく着く
そこでのバス配車捌きは,相当見応えがあった
エジプト人が紀元前に発達させた幾何学は
僕がこれから乗るバスの道を招く為にあったのだ!
当時は何気なく眺めるばかりの操車技術は
20数年の時空を超え,幾千年の人智を誘いつつ
ルール炭田のあっさりした景観をまったりと走るバスに常乗する僕の心を
時として席巻する

そして,僕の気を引くバスがまた一輌
その行先は,東習志野八丁目

 

 

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#5 カラオケは好きですか?
カラオケは好きですか?
先日,博多で友人と話している中で,現代日本の文化が世界に誇れるものは
おそらくカラオケとパチンコぐらいしかない,というようなことになった
これらに廻転寿司も加えて「文化三羽鳥」とでも呼ぼうか?

僕は直接パチンコ台の前に座ることもないが
「大阪では負けたことがない」
との言葉通りのバンドマンの右手にあやかったのは
つい先月のある晴れたオフの日のことだ
お手洗いを拝借しに行くかと思えば
小一時間もしないうちにプチブルジョアに化けて凱旋
そして彼はやせた僕達を
プチレストラン・ド・ラ・キュイズィーヌ・シノワーズ
に招いてくれた
詳しい呼び名は知らずとも,あのエビチリは心の中を流れる
河に色鮮やかな紅葉を浮かべてくれた

閑話休題
廻転寿司は皿ごと別の機会に流すとして,カラオケに戻そう
事は四年前に遡る
雲南省での旅の途中,偶然アジア系USA人とおぼしき旅行者と同室になった
窓を背にして座る彼に僕は尋ねた
「どこから来たと(←「と」を高く発音して下さい)ですか?」
彼は答える
「ジャパンのチバと(←「と」は別段高く発音しなくてよい)というところからです」
え?チバですか?僕も実家はチバです
と会話は日本語にあっさり置き換わった
つまり,彼は日本人だった

話を続けるうちに,彼は千葉県北部にあるレストランのマスターでもあり
かつ写真家でもあると知った
鉤型に配置された二つのベッドの上で,帰国後のライブの話まで浮遊するに至った

この出会いから一年以上は経ったあろうか?
僕はやっとそのレストランにこの姿を現した
そこは,ライブが終わった後にカラオケも楽しめる稀有な空間だ

ゴルフといえば打ちっ放し
カラオケならば歌いっ放しと思われがちだが
このレストランのカラオケシステムは
歌い終わった後になんと採点してくれる
スクリーンに映し出してくれる
高得点をマークした人には,お店から記念品が出たかと思う
この僕も時折カラオケに心誘われ,気が付くと十八番でもない歌の番号を
さっさとリモコンで入れていたりする
歌詞もおぼつかないくせに,「矢切の渡し」「兄弟船」など,
隠れセーラーぶりを惜しみなく発揮する
そして歌い終えたら気に留めないふりを装い
出てくる点数をしっかり心に留めているんだな,これが
百点なんかをうっかり出した暁には世界制服の光が差したと思い込んだりしやしないか?
下二桁のゼロがドッペルゲンガー状態を起こしたかと見まがい
百万点獲得アメリカ横断ウルトラ歩道橋クイズ新婚者さんいらっしゃい・・・・・
幼稚な幻覚に溺れそう
握るマイクにだらしなく甘えそう
ああっ!
「数」が出る以上,多かれ少なかれその大小に煽られるのは否めない
この「点数」で,以前ウェールズのパブで興じた遊戯器具が思い起こされる
ビリヤード台の変形みたいなもので,手前に球をキューで打つところがあり
その奥に幾つかの穴が穿けられている
それぞれの穴には,10点,20点,50点,と書かれていて
点数に従い,技術が要るようにできている
そこで極め付けが,100点の穴
これだけが,なぜか一番入り易いところにある
「高得点御希望の方は,こちら」
と手招くように設けられたその穴を避けて
他の穴に入れる妙な楽しみが
射倖心を翻弄しつつ溢れるひとときだった

 

 

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#6 宅配ピザ屋 (2001.07.13)
僕が博多で一人暮しを始めてまもなく
アパートの郵便受けにチラシが一枚
宅配ピザ屋からだった
5月末か6月初めだったかな?
新しい生活も梅雨間近になると新鮮さが褪せて
「面白いこと,ないかいな?」
と心の中では重箱の隅をつつく日々に突入していた
「ニュース」を勝手に作ろうと思い,カレー好きでなくとも知る
あの1300gカレーに挑んだりした
この経験は,十年経とうという今も,事ある毎に話題に上る
トラウマのようになっている
何故って?
それはね,20分以内で食べ切れなかったからなんだよ
白旗が冷ややかに囁かれる口コミ情報にもならないまま
青年の狙ったニュースは,新しさを帯びることなく
単なる物笑いの種として,伝説の如く語られるのみである
それも,本人のみに依って告げられるばかりだ

そんな切ない気持ちからまだ抜け出せていなかった僕の目に
飛び込んで来たのがそのチラシだった
眺めること15分,早速電話をしてみる
「あの,そちらでバイトさせて欲しいんですが・・・・・」
それから三日もしないうちに,僕はヘルメットをかぶり
乗り慣れないカブに身を委ねることになった
あのときは,ピザよりも,それを運ぶことのほうに魅かれていたのだ

そして10年が経つ
昨日,家の郵便受けに,またピザ宅配のチラシが一枚
郵便番号が今の住所と同じだ
と,いうことは,近くに新しく出来たのかな?
この附近だけでざっと数件はある
つい最近,別のピザ屋に意気揚々と電話で注文したら
心苦しくなるほど予想外の小ささのピザが来て
相当の心理的ダメージを受けたばかりだ
しかし,チラシの上に“New Open”みたいなことが書かれている
開店したばかりの宅配系の店は,まず客の期待を裏切ることがある訳ない
と,間に合わせたような強気で電話をしてみる
「・・・・・・30分でお届けしますね」
ラージを2枚頼んだ
スモールで裏切られると気持ちもさらにスモールになるのが怖かったせいもある

先程手にしたメニュー付きのチラシをもう一度見ていたらなんと
イタリア料理の次にインド料理の欄が
カレーまでも宅配してくれるのか?
もっと読み進むと,フライドポテト(チップスと呼ぶこともある)まであった
このとき,実はもう一度店に電話しようと心がときめいた
ピザだけでなく,カレーも食べたい
それもインドカレー
ついでに連合王国(UK)を思いつつチップス
リダイヤル欲望が手首まで達したとき,ふと理性が呟いた
「喉元過ぎて熱さ忘れ」てはいけない,と

おとなしく待つこと十数分,「ジリリリリ!」呼び鈴が鳴った
階段を降りて玄関の扉を開けたら,そこには10年前の「僕」が
保温ケースを抱えて立っていた
しかもインド人とおぼしき姿でやって来た
「またよろしく!チュース!」
サービスなのか小さいパンが数個付いて来た
申し分ない大きさのラージ2枚の箱を僕に手渡すと
10年前の「僕」は帰っていった
今度「僕」はどこの人になって来るのだろう?
インド人経営の宅配ピザ屋というのは,この辺りでは少なくないのだろうか
ロンドンでインディアン・テイク・アウェイを看板に掲げ
タンドーリチキンやキーマカレーと共に
Fish and Chipsのチップスを出しているかと思えば
ルール炭田の上ではピザ屋と銘打ちつつカレーを出す
このバイタリティーに倣って,イタリア語の屋号で
寿司の出前もする地中海料理店とかを企ててみたくなった
勿論,カレーうどんとチップスは外せない
“Pizzeria Mamma Mia”とか,どうかなあ?

1300gで悪夢になりかけたカレーも,10年経って希望のルーに育っていたようだ
ちなみに,10年前のバイト先のピザ店は,勤め出して二ヶ月もしないうちに
博多山笠を追うが如く,あっさり閉じた

 

 

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#7 ホッピー (2001.08.07)
盆を待たずして,肌寒めになって来た
この辺りは,梅雨がこない分,秋が早く訪れるのか?
ビールを再び常温で飲むのもそう遠くはなさそうだ
正に「夏をあきらめて」状態だ

ちなみに,ビールは徒歩2分強で着く食料品店兼ビール屋
さらに新聞や雑誌も扱っているところからケース買いしている
「この前のビール,味はどけんやったね?
甘うなかった?今度は,苦目んとば買うていかんね」
と店のおじさんに先日勧められた
しかし,まだ台所には半ケース分のビールが健在中である
おススメのビールにありつくまでに,へろ酔いの一夜が発生しない限り
まだ一週間はカタいだろう
♪一人で飲む酒 ゆるい酒 完熟すだちィー♪
完熟すだち?
昭和40年代のヒット曲にこんな歌詞があったような・・・・・・
新宿辺りの果物店が舞台にでもなっているに違いない

「新宿」で思い出したある飲料がある
「ホッピー」
このHPを訪れた皆様,飲んだことがありますか?
チェーン店系の居酒屋などでは扱っていないことが多く
低価格設定をモットーにしている小さめの飲み屋のほうが注文できる可能性が高い
新宿界隈にはもう多くないかもしれない

ホッピーと呼ばれているが,おそらく正確に表すならば
「ホッピー酎ハイ」となる筈だ
ホッピーを頼むと,「ホッピー」と書かれた茶瓶(ビール瓶の色に近い)と
焼酎と氷入りのロンググラスが出て来る
このグラスに,茶瓶からビール色の液体を注ぐ
いわば割る訳だ
店に依っては,焼酎のおかわり(つぎ足し)が無料で行ける
ホッピーの醍醐味は,こんなところにもある

最近は東京に赴く度に,「ホッピーだよ,おっ母さん!」的傾向が強い
お近くの方も,はたまた高速度交通機関を利用して各地方から東京を訪れる方も
「ホッピー」の文字を店内の壁またはお品書きに目聡く発見した際には
是非一度お試しいただきたい
東京都内とその近辺で愛飲されているとは聞く割には
他地方からの噂は強い風の吹く夜にも聞こえて来たことが
少なくとも僕にはない

ある意味,東京観光の花の如きアイテムのようにも受け取れる
テレビ東京のそばにある赤いタワーに上った後は
焼き鳥の中から「ねぎ間」を選んでホッピーを飲む
そしておみやげにあの「ばな奈」を手にして
帰路は江戸川を越え千葉県には入り
ねずみを始めとした動物達が登場したりもする
主題の定められた公園で楽しみ,新東京国際空港からの航空便に間に合うように
一路三里塚を目指す
東京観光はこのコースを元にして考えれば完璧
と呼んでも差し支えないだろうか?
空港のラウンジで,ほっと一息つきながら口を潤すのは
やっぱり再びビールとなってしまうのだろう

ホッパー暦がまだ浅いせいか「ビールあってのホッピー」
として楽しんでいるだけかも知れない
但し,ビールの仲間としてホッピーを飲むことはしていない
九州で飲み慣れた焼酎としてでもなく,酎ハイとしてでもなく
全く別種のドリンクとして好きになった
以前,ある友人に勧めたら
「うっ マズッ!」
の一言で終わってしまった

ホッピーが麦芽飲料であることが,時としてこのように裏目に出るのかも知れない
味噌味だけだと思って飲んだらミロだったりしたら,つよい子になるのは
理解できても否めない不満めいた感情が残ることと同じなのだろう

誰とて,期待に反する結果には,なかなか馴染めない
相性の問題なのか,ビールの味も当たり外れが意外とある

 

 

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#8 青島ビール (2001.08.07)
最近よく聴くアルバムで,Ego-Wrappin'というユニットの「満ち汐のロマンス」がある
去年博多で,今年岡山でそれぞれ別なCDを聴いた
ちなみに,家にあるのは岡山で聴いた方だと思う
おぼつかない記憶なので,もしかするとまた別のCDの可能性もある

さて,このユニット名を見ながら,“Edo-Cuttin'“という語が浮かんだりする
「江戸を斬る」ことにでもしておいて欲しい
「ピザ」と10回言わせた後に,「さて,身体のこの部分はなんと呼ぶでしょう?」
と肘を指しつつ尋ねるクイズのような,言わばダジャレの類いに含めていただければ
ありがたい
「究極の選択」とこの系統のクイズとは,どちらが先に流行ったのか定かではないが
若かりし僕はまんまと「膝!」と憶せず答えていた

どちらが早かったしろ,既に一昔前の娯楽ネタとして納まっている筈なので,
今日もこっそりと復活させてみるのはどっちだろう?
「守礼の門は十八」と12回(念には念をー文吾註)言わせた後に,さて問題
「平安京があったのはどこでしょう?」と訊く
ついでに賞金弐千円と謳ったりしていても正解者が少なかったりしやしないか?
念のため断っておくが,賞金付きでこのHPでこの問題を出したりしてはいない
他愛ないアイディアとして脳内細胞広野原の片隅にでも放って下さい
「ピザと掛けてヒジを説く」,以上

類似品に似つかわしくない名称を付した商品を「パチ物」などと呼ぶが
それとおぼしきアイテムだったかどうかは別として,「パチ物」がパチパチと
静電気を起こしつつ強烈に思い起こされるビールに遭遇したことがある

もう五年は経つだろうか,北京から夜汽車で山東半島に向かった
目的地は黄海沿岸のQingtao,それはチンタオ,つまり青島
下関行きの船に乗りに行く帰途の始まりだった
寝台のそば,ひとりビールでも飲みつつ旅情に耽ろうか
とか感じている僕のそばを,車内販売のカートが
「ビール二本下さい!」
さほど高い値段ではなかった
中国国内各都市で愛飲されている地ビールと大した差もない
余談だが,味には勿論地域差がある気がする
何気なくビールのラベルに目を遣ると,何とチンタオビールではないか!
ところがローマ字は“Qindao”
あれ!Qin g taoの間違いかな?

そして漢字は「琴島」だった
どうりで高くないビールな訳だ
「あお」と「こと」,「セイ」と「キン」では日本語でも大違い
注意して発音するまでもなく,全く別の商品として存在している
ただ,一部の人々(例えば中国語を話さない人)が
予期せずして勘違いを起こしたりするだけ,ということになるのだろうか?
Qindao Beerの琴島ビールのラベルをもう一度よく読むと
どうやら青島にあるらしい琴島製造所に関係があり気と理解できた

少なくともQingtaoの青島ビールを装って売られてはいなかったので
だまされたことにはならないのが,救いの如き様相をも呈していた
一泡吹かされずに済んだ

日本でも名を馳せる青島ビールは
本国中国ではどちらかと言うと値も悪くない高級酒的なイメージがある
日頃グビグビと渇きを癒す役は
廉価な琴島ビールに委ねられているのかもしれない
各地に欠かさず地ビールがあると聞くドイツにも
Qingdao-Qindao的な関係の銘柄があろうか
青島にビールをもたらしたドイツ人もびっくりか
そこにイタリア人が闖入して一言
「どちらも仲良く“chinchin”(ちんちーん)と乾杯!」

今度青島に上ることがあれば,のっけから「琴島」を殊更注文したい
”Qinーqin!”

 

 

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#9 冷やしビール (2001.08.22)
秋限定のビールが,丁度売られ盛りの今日此頃だろうか?

季節感に溢れた衣生活に疎い僕だが,それなりに服装に表れる山水紫明の移ろいがある
夏日が遠ざかると,汗も遠退く
じわじわと布地がこの身をより多く覆うにつれ,秋が僕の上に露になって来る

「今ある」ことよりも「曽てあった」ことにより
強く魅かれがちな季節としてもしばしば歌われる秋
こう考えていくと,小学校で歌った「まっかな秋」は,どこか「今ある」系っぽい
さて,これから鍋に箸を伸ばそうとする一方で,過ぎた真夏日に
「鍋の下の力持ち」である炎を見つつ,思いを馳せている

真夏日
30度を超える日をそう呼んだかと思う
ここドイツで飲み慣れた常温ビールも,ああも暑い中では無情な栄養ドリンクでしかない
禁じ得ず,冷蔵庫に数本入れた
久しぶりの和風ビールは,救世主の到来に等しい「癒やし」になる

そんなある日,ケース買いしているビールの19本が終わり
最後の一本の王冠を開けた
その頃の流行である「癒やし」冷やしビールのボトルにふと目を向けた
「飲み頃温度6℃〜8℃」みたいな記載があるぞ
少々暑くても気にしないようにして愛飲していた常温ビールの苦味がどことなく鈍いのは
単に僕の保存方法に問題ありということだったのか?
ああ,なんとなく,常温ハワイアンセンター!
こりゃ暑くてうだるばかりだ
「悲しき熱帯」が,全く違った形でここにもあったのか?
交差イトコンニャクが,季節はずれの常温ビールに煽られて一人で踊る伊豆半島
うれしい発見と,虚ろな滑舌が妙な綾を成す
定石とは限らないものもあると学んだ夏

ぐつぐつ鍋は煮えて来たか?
ここでビールなら,やはり飲み頃温度6℃〜8℃で注ぎたい
海山の幸の香りを楽しみつつ,キンキンに冷えたやつがいい

箸を伸ばしつつ,ストーブを思い出す
燃える炎
赤い
その前に,ビールケースが置かれている
注文が通ると,そのケースからビールをお客の許へと運ぶ

これは,8年ほど前に中国東北部(いわゆる旧満州)でレストランに入ったときに
見た光景である
ストーブの前のビールが,それこそ理想的な飲み頃温度になっている
外は零下十数度
室内であっても,ストーブの熱が届かないビールは
奇しくも生まれて初めてのシャーベットになっていた

店を出てから帰り道を考えかけただけで,強い酒にもなかなか酔い込めなくなる
「バナナで釘が打てる」というのは,つまりはこんな状況だったのか!

鍋に追加の具を入れた
神妙な杓捌きの鍋奉行の傍らで,久し振りのハードリカーを綴っている
今宵は,ヘロ酔いに至る「ヘロ飲」は避けたい
いやはや,秋の夜長は,思いも尾長

 

 

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#10 アイスクリーム(2001.09.01)
「アフリカのどこですか?この写真を撮ったのは?」
とまで尋ねられたことがある
2001年の今年からしてみると2年前の1999年に出したCD
“Mongo Riant”のジャケット写真がそれだ

あのジャケットを眺めていると、僕自身も行ったことのない場所で
そして映っているのは誰か知らない人、という錯覚が起こる
よくある単純な記憶違いとは別の、絶妙なパラレルワールドへと誘われていくのだろうか?

CDが出る前年に撮影をした
5月か6月頃だっただろうか、撮影も終わらないうちに小汗をかいていた
梅雨の近付く日だったかも知れない

機材の片付けが済んだあとに食べたホットドッグも忘れられない
アフリカにも、同じくらい美味なホットドッグがあるのだろうか?
願わくば、マスタードかチリソース(またはタバスコ)がおいてあると嬉しい
ニンニク取り放題とか、レモン汁ご自由にどうぞ、とかの方がありげかな?
アボガドペーストもれなく一往復してくれたら
悩みを些か伴う喜びが顔一杯に溢れること間違いない
・・・・・・・なるほど足を踏み入れた否かに言い及ぶまでもなく
僕は“アフリカ”を大雑把にさえも知らない

先日、車で来るアイスクリーム屋に遭遇
ぬかりなく2scoops球(ふたたま)掬ってもらった
一球30円するかしないかぐらいで、ジャリ銭に余裕があれば
6球ぐらい強肩を見込んで投げてもらいたくなるぐらいだ
そして、車の側面の小窓から、小さめの球が載ったコーンが登場

「もう少し大きめかと思ったのに」とシビアな現状認識の傍らで
「これくらいの大きさのほうが、外では持ち易く且つ食べ易いよ」という
良心的な声も聞こえる

確かに、特に暖かい時期に食べるアイスは時に厄介者だ
ダブルを頼んで、二秒もせずに鉛直方向にボトッ!と落としたのはあなただけではない筈だ
(落としたことの有無さえ確かめずに言うところを見ると、
強引にゴーイング・マイ・ウエイの傾向あり!)

さて、初デート中に、もしそんな事件が発生したら
芽生えた好感も思うより早くアイスと共に溶けて消えるかもと心配してしまう
調子に乗って自転車の後ろに女の子を立たせて出走!
と意気込む間もなくチェーンが外れたりする類の状況が
その後数年の人生の舵を取ることもないとは言い切れまい
おも舵、もろいっぱい・・・・・・

逆に、アイスはトリプルか若しくは四重はたまた五重の塔で注文し
どこかの雑技団さながらの手と口のこなしで華麗に食べ終え
チャリは事の外整備が行き届き
いかなる恋のライバルと競う間もなく二人は爽やかな風になったなら
四季に拘らずラ・ヴィ・アン・ローズが始まろう

こうも輝く二人がホットドッグよりも熱く、チーズのように申し分なく
融け合う姿を見るなり人はこう言おう
「アフリカかどこかの深い森の緑に抱かれているようだ!」

Mongo Riantのジャケットにもあるアイスクリーム屋が車でやって来る
ルール地方とは趣を異にする緑が

 

 

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#11 東習志野八丁目(2001.09.03)
#4からの続き
僕が帰途のバスを待っている間に
「東習志野八丁目」と方向掲示幕が表示するバスが一輌
また一輌と出発する
何度も目にするうちに、愛着めいた感覚が育って来た
津田沼駅北口を発った後
おそらく僕の住む所とほぼ同じ方角に進んでいくようではあったが
具体的な地理関係は掴めていなかった
親しみが沸く反面、その地点は未知の世界の色合いを強める

不思議な気持ちで、いつも僕は帰りのバスに乗る
このバスは終点に近くなると「習志野」バス停を通るのだが
この辺りで「東習志野八丁目」行きは見当たらない
#5で既述の木下駅行きなど当時の僕にとって
心理的に遥か遠くに赴くバスこそ見掛けはするものの
どうやら「習志野」違いのようだ

当時の津田沼駅北口から出発する数あるバスの中で
「東習志野八丁目」行きは僕にとっては「トルコ石の青」
(turcoise blue)めいた光りを放っているように思えた
僕の周囲の大人に尋ねても、一体どこなのか皆目見当が付かない
僕の家からそう離れてもいないようなのだが、そこに行き着くイメージが生まれて来ない

確かに、幼い僕のイメージなどたかが知れたものだが
幼いなりに世界観はある
これは誰とて否めまい
この世界観が及ぼうとするのを察知すると、マシュマロの如くやんわりと撥ね退ける
そして、漢字もよく解らない子供の眼には「東習志野八丁目」
という漢詩のような並びが、雨上がりの夕暮れと同質に映っていた

それから、この“手の届かない親し気な場所”はどれくらい続いたのか
「東習志野八丁目」行きに一度も乗ることなく一日一日と育つ僕

そんなある日、「津田沼駅」行きのバスが新しくいつも乗り降りする別の駅から通るようになった
この駅の西口から延びる通りが突き当たるT字の交差点が
何と前に突き抜けてその先にあった道とつながってからしばらく経ったときのことだ

T字交差点だった頃は、おそらく建物が何かしらあって
まさかその背後にひたひたと道が延びて来ているとは夢にも思っていなかった
僕がこの駅から乗るバスは、この交差点を右に曲がり
パラシュートの見える自衛隊演習場を左手に見つつ走る
いつもこの道を通ってはいたものの、交差点になる気配が漂うまでは
伸びて来る道のことなど夢にも思わなかった

通り始めた「津田沼駅」行きは、この駅の西口を出て
駅入り口バス停を過ぎてこの交差点に差し掛かる
そして、この交差点を越えて、自衛隊演習場を右手に見ながら、坂を下っていく

そこに、なんと「東習志野八丁目」バス停はあった
交差点が工事中のとき、向こうになんとなく見えていたのはつまり
津田沼駅から運行していたバスそのものズバリだったのだ

親しげな未知の世界よ、こんにちは!
しかし、トルコ石の青は決してそれを機に粉散することはなかった
細々と高津川がその下を流れる坂下は
今でも僕にとっては心の琴線を弾く琥珀色の原風景として
静かに輝いている

 

 

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#12 アイスクリーム (2001.09.15)
アイスクリーム それは冬の食べ物だ
アイスクリーム 夏は直ぐに溶けるから
アイスクリーム、ソフトクリーム、フレッシュクリーム

この街に来るようになって、はや一年が過ぎた
生活必需品入手にも事欠かないようになった
買い物に出たら、どこでアイスを食べるかとかまで定まって来る

イタリアに近いせいか、“アイスカフェ”が処々にある
大抵は、お持ち帰りだけでなく中でエスプレッソからリキュールまで
そして晴れた日には表でもパフェなども注文できる
いわばアイスに強い喫茶店の趣だ
今年は暑い日が多かったので、アイスも楽しみ甲斐があった

最近、球が大きめの店を発見
今まで食べていたのはサンプルアイスかと疑わせる程
他店と同値でしっかりたっぷり掬ってくれる
僕にとってアイスは今も生活必需品
大きなことは良いことだ
こういうものは、見つかるのにある程度の時間を要する
もっとも、目利きは到着後二秒で探し当てるだろうが

この店は、いつも買い物に出かける市の中心から離れたところにある
七月末にジョルジュ・ムスタキのコンサートを観に来たのを機に、足繁く通うようになった
しかし、この店でアイスを買ってみたのは九月に入ってからのことだった
それ以前に、多くの人がアイスを手にして店の前に小群がっているのは何度も
目撃していたが、そのアイスの大きさにまでは気付けぬまま通り過ぎるばかりの僕
通りを挟んで聳える教会に気を取られていたのだろうか?

水曜日には、ティラミス(のアイス)とストラッチャテーラ(とか言ったかいな?)
を食べた
果物系の酸味と甘味の絡みが好みだが、時折カカオに偏る
ミントチョコとココナッツミルクの組み合わせも悪くなかった

眼下の冷蔵ケースの中には、ざっと20種類は並べられている
別の種類でダブルの組み合わせだと少なくとも190通り
(註)はあろうが
その中には何度舐めても許せない救いようのない掬い合わせも少なくないのかも知れない
メロンシャーベットとチョコレート
一粒で二度おいしいのはキャラメルに絡める限りの話っぽい
こう綴りつつ「非美味なペア」を考えてみるのだが
6年ほど前に広州で見た又焼と小豆飴が一緒にどっしり入った月餅がちらつくばかりで
肝心のアイスにまで辿り着けそうにない
今も中秋説が近付けばあの月餅は飽くことなく店頭に並んでいるのだろう
それこそ又焼きアイスがあっても不思議ではない「食在広州」だから
以前のジェラートブームが足許にも及べない珍奇なフレーバーが蔓延の最中だったりして

亜熱帯の広州とは別な類の寒さがある冬のこの町は
どうもアイスクリームに店が書店に化ける傾向にあるようだ
去年はそうだった
冬こそアイスと信じて疑えないのは、この僕の持病なのか?

最近見つけたその恵みの“アイスカフェ(Eiscafe)”も冬の眠りに就くのか?
もしそうならば、熊の如く今のうちに食い貯めしないといけない
ゲットアイスクリーム!!

今日は土曜日
何と何を合わせようかな?

(註)掬う順番も考慮すると380通り    
バニラとチョコの場合、バニラが上のものと
下のものを別の組み合わせとする場合

 

 

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#13 フラポ(2001.10.13)
路線バスは“The Bus”と車体に書かれたものしか走ってなかった記憶が
「ハワイ」と耳にする度に沸き起こる
浜松町からモノレールで羽田空港
そしてここから飛行機
いまから20年以上も前のことである

今日は夕飯を外で済ませた
“Doner Kebap”と呼ばれる、トルコのファーストフード
(のようなもの)を食べた
幾層にも重ねた肉が、ロースターの前でくるくると回る
注文を受けると、長めのナイフで削るように焼けた部分を切っていく
2000年からの狂牛病に対する不安が解消されにくいせいか
大半の店では羊肉か鶏肉、或いはこの両方を店頭で回している

そして、トースターで軽く焼いた扇形に切ったパンに
先程の肉と、ショーケースに並べられた野菜各種
更には白いチーズやチリソース(らしきもの)を塗るなり
挟むなりして手渡してくれる

ソースは、大半はヨーグルトベースと感じられるツァヅィキ
そしてこのチリソースを使うようだが、
以前ベルリンでマヨネーズにカレー粉を混ぜたような味のものに
出遭ったような気がする
ニンニクソースに銘打ったところもあった

辛いものに馴染むことはや15年の僕は
大抵「チリソース入りで」と注文している
ツァヅィキとの相性がたまらない
紅白味合戦、このときばかりは紅組が僅差で勝つことを望む

今日の店は、つい最近オープンしたばかりだそうだ
Doner kebap(デナー・ケバプ)と一緒に、フライドポテトも頼んだ
ちなみに、この辺りではフラポを“Pommes(ポンムス)”と呼んでいる
おそらく、フランス語の“pommes frites(ポンム・フリット)”
から来ているのだろう
フランス語では音に出さない“s”を、ドイツ語では律儀に且つ明瞭発音している

さて、このフラポ、今日の店のは久し振りの三塁打的美味しさだった
初めに謙虚に注文したフラポはS(エス)
体内の血液が何回も循環しないうちに食べ終えた気がする
そして迷わずL(エル)を追加
ジャガ芋の味もさることながら、マヨネーズが心を開いた
中国語でマヨネーズを「カイシンヂァン(開心醤)」と呼んでいたが
おそらく早い時期に食べた人が、今晩の僕とほぼ同じ喜びを感じたのだろう
「マヨを愛して 人は心開き」というエンディングテーマ曲が
散ることを知らない桜吹雪の如く、口腔内から三半器官へと漂っていた

暮れなずむ街角の店で食べていたフラポは、暫くすると僕をハワイへと連れて行った
未就学児の前に出された、ひときわ大きなハンバーガーと
大海のように波立つフラポ
ハンバーガーは何とか食べ込めるも、フラポまではたいらげられない
「皿の底が私を呼んでいる
今直ぐ会いに行くからね!」
と思うも束の間
芋の海にむなしく溺れるばかりだった
それが実は
「全部食べ終えることなく、残して満足感をも味わう」
ためにあるようなフラポだと友人から聞いたのは
ほんの数年前のことだったろうか?

一部残すことで満足と感謝を表すことが主流の文化と
全部摂り入れる(食べる)ことでそれを意味することを好む文化
ともすると僕は後者に身を寄せるあまり腹の丸さに気付かないことが今でも少なくない

以前、中国である画を見た
皿の上に魚が載せられた図案、そして「食有魚」(食に魚有り、かな?)
という三文字が書かれている
いったい何の画だろうと見入っていたら、そばに居た人に教えられた
「食有魚は中国語では“食有余(食に余りあり)”と読みが同じ音
この画は、食べ物が余るぐらい裕福なことを意味しています」

時として、残すことを許すほうが、残すまいと戒めるよりも
エネルギー消耗が激しいことがある
しかしこんなことを忘れて、今晩はフラポに興じた僕だった
ごちそうさま

 

 

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#14 博多にて (2001.12.16)
「解散問題に揺れている」
エルデルの、ドラムス筑前守とある晩のこと博多で会う機会があった
吹く風もさほど冷たくなく、ヘロ酔いすれすれで二人は三軒目に到達した

そこは博多でライヴをすると2度に1度は打ち上げ場所としてお世話になる
「屋台風居酒屋」の一番新しい店舗だった
就寝を草木と共にする商業地域の一角の二階へと、僕の博多留守中に移って来ていた
「世の中、知らないことばかり・・・・・・」とつくづく実感
浦島太郎は、我が身にとって決して他人事とも言い切れまい
龍宮に辿り着けぬままに手ぶらで日本に戻るように見えても、いつも玉手箱は持たされている

筑前守との一席は、そんな玉手箱を安全に撤去する作業でもある
時として、玉手箱を安全に撤去する作業でもある
時として、玉手箱は正に地雷に等しい危険を伴う
“無知”なり“not informed”なりが意思疎通環境存続にとって危機となり得ると
思い知らされた経験は、なにも僕だけのものではなかろう

ここまで書いて、思い出すのは「黒ひげ危機一髪(あれは、一発と書かれていたかも?)」
玉手箱の危険を疑似体験を以って教えてくれる稀有の存在であり、
且つよくできたオモチャだ
予断だがその示唆するところとは裏腹に、たまに黒ひげ人形の様に
高く飛び出たいときもある
成層圏までコバルトブルーならば本望かも知れない

さて、二人の前には封を切ったばかりのイモ焼酎5合瓶と刺身盛り合わせが置かれていた
三軒目でもあり、かなりスローペースで飲食を進めようと心のどこかで自身に言い聞かせつつも
既にお好み焼き(ブタ)を頼んでいた
二皿目の刺身盛りに箸を伸ばして間もなく
お好み焼き(どちらかと言うと大阪風/ブタ)が運ばれた

「これこそ、博多っていう感じですね・・・?」
「そうやね、ラーメンとかよりこっちのほうが(博多って)雰囲気が出とるね
他の土地から来た人には、こーゆーのを味わって貰いたいっちゃけどね、・・・・・・」
新鮮な海の幸と、イカ玉エビ玉ならともかく一見無関係気味のジャンクフード(ブタ玉)
新鮮な海の幸に日々親しむこの町では、大して珍しくもない取り合わせだが
どことなく博多ならではの感が色濃く出ている気がする

いつのことだったか、筑前守が僕に話してくれた
他地方から来た人が、その場で内心不思議がった

「なんで不思議に思ったとですか?(“と”を高く発音する)」
話を聞きつつ、今度は僕が彼の言葉に幾莫かの不思議さを覚えた
彼はそんな僕の顔のど真ん中に向けて言葉を続けた

「いいかヤモト、他の土地はどげんか知らんばってん
博多の人にとってイカは透明なものなんよ
白うなったらもう新鮮やないったいね」
・・・・・・なるほど、白かとば見て喜びんしゃったとの不思議やったとですたいね
(“と”の抑揚に注意)

遅く福岡に移った僕が気付かずにいたことが、また一つ明らかになった
そして同時に、改めてこの町の凄さを知った
更に、透明であろうとは認識しつつも
白くても新鮮だと許しかねない自分の中のある甘さをも教わったのである

そんな海の幸とは公私共に親しいひでき君から、今さっき電話が入った
新曲ができたとのこと
ドイツに戻った後も、日々是反芻かも?
ちなみに、彼がエルデルのベーシスト香車嶋英樹なのは皆さんお気付きだったろうか?

 

 

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#15 マルク (2001.12.18)
・・・・・・さよなら、マルク!

「この1マルク硬貨、がなんと15ユーロに!」

僕のドイツで住んでいる町のバス停などで
ちょくちょく目にした広告にこういうのがあった
ある特定の硬貨を拡大写真で示しつつ
その希少価値を人々に知らせる
写真の1マルク硬貨自体は僕も普段使っている何の変哲ななさ気ものだが
表面の図案上に刻まれた見落としがちな小さなアルファベットをよく見ると
鋳造数の極めて少ない“j”(と仮にしておこう)である

コイン収集家しか関知しないようなネタが此処ぞとばかりに表に出てきている背景には
2002年1月のヨーロッパ連合内の通貨統合があろう
実生活上では、これまで使っていた各国の通貨が統一通貨
“ユーロ”に切り替えられることとなり
それまでの各通貨は一定期間内(確か2月末までだったかな?)に
ユーロと交換されなければならないそうで
さもなくば、貨幣としての流通は難しくなると聞いている

そこで、こんな広告で人々にそれまで貨幣集めを促しているようだ
家に眠っているジャリ銭も含めて効果をただ集めてくれと言われるよりは
若干の希望があって素敵だ
ちなみに、希少価値があるのはなにもこの1マルクばかりではない
1/2マルクに相当する50ペニヒ硬貨の中にも
「コレクター垂涎の的」的なお宝があったと思う
この情報のホームページアドレスも載っていた
まだ見たことはないので、近いうちに去りゆく通貨の一つ
ドイツマルクを偲びつつ訪れてみたい
砂金採りにも似た心持ちで電脳を前にするのであろう
否めない射幸心

次にドイツに戻ったら、もうユーロだらけだ
フランスに行っても、オランダに行っても、両替せずに済む
一日しか滞在しないのにわざわざチェンマネは煩わしさ極まりない
とかボヤきつつも、これもヨーロッパ旅行の楽しみだったりした
現在の我々が江戸時代の藩札を眺めるのと同じ面持ちで
やがては彼らにもイタリアリラ札を目にする日が約束されているようだ

ただ、同じ通貨を使っていても、その読み方は各言語に依るので
音で聞く限りではどこか不統一の感が免れ得ないかもしれない
ドイツ語では、“オイロ”
に近く発音され
フランス語は“ユロ”
スペイン語なら“エウロ”
となろうか
これは曽ては「圓」と標記した通貨単位が
中国では“ユアン(yuan)”
朝鮮半島では“ウォン(won)”
そして日本では“エン(en)”
となっているのと雰囲気が似たり寄ったりな気がする
同じ書き方
違う読み方

“ペセタ、クルゼイド、ドラクマ、リラ、フラン、ギルダー、マルク・・・・・・”

各通貨の名称を今一度声に出してみて欲しい
“ユーロ”の中に、これだけの響きは到底入り切れなかろう
通貨統合ならではの荒業、今更ながらそう思えて仕方がない
欧州経済政策にも経済学にも疎い僕にも、ユーロは確実に迫って来ている

 

 

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その16 おさかな (2001.08.07)
「ブリブリブリ、ブリブリッブリ・・・・・・」

寒々とした9月とは打って変わって小春日和目白押しの10月のことだったろうか。

デュッセルドルフに魚屋さんが見つかった
デュッセルドルフ中央駅から目と鼻の先にあって、地の利もいい
「ソウルフードが魚」の僕が、ソーセージ好きを装いつつ
待ち焦がれていた一店であった

僕は、汽車で1時間掛けてでも出向く
切符への時間の打ち込みを忘れた
(つまり、日本国内で言うなら目的地までの「正しい切符」を持たずに乗車したのに相当か?)
のが車内検札で発覚し、腹立たしくも60マルクの追徴金をお支払いしたことさえある
そうまでしてでも魚には代えられない
いまのところ、これだけ魚の品揃えがあるところは、他に行き着きそうにない

某アミノ酸
水槽完備の店内は、魚の匂いまで泳いでくれる
天婦羅にしてつつきたくなる青魚から
どう食べても孤独を堪能させてくれそうもない大きな鯛まで
それなりに見応えがある
タコや貝も並んでいる
竜宮城到着直後の太郎が、架空と時空を超えて語り掛ける声がする
アミノ酸の織り成すメロディーを奏でつつ迫る

そんなちょっぴり幻聴気味の僕のお目当ては、魚の頭
「これはドイツ人には料理で出さないほうがいいよ」
と、以前知り合いに教わった
何故なら、ドイツの皆さんの中には魚の頭を食べないどころか
怖がって敬遠する人も少なくないらしいからだ
そのお陰か、こうして魚の頭が手に入り易いのかも知れない
「真っ二つに割って、塩と胡椒をして、オーブンで焼いたら美味しいですよ」
・・・・・・店員さんの言葉通りにしたら、旨かった
ドイツを忘れる味がした
はたまた、圧力鍋でチャッチャッと短時間でほぐしてホクホク
と頂くなど最盛期は週3回ありついたろうか?

博多に来て何年も経とうというのに、昨年末初めて柳橋連合市場を訪れた
尤も、用事がなければ何処へも一生行かずじまいなのだが
魚好きが行かない法はない「福岡の台所」的な市場がそこだ
いろいろな商店が軒を並べていると聞いていたので
予め事情通のひでき君(香車嶋)にお薦めの魚屋さんを訊いておいた

12月30日、渡辺通り1丁目交差点を東へ渡った辺りから道が混み始めた
次の信号を過ぎると、着たぐぁに柳橋連合市場が見える
〆縄などを売る店が出ているそばから、バス通りからは見えない奥へと歩と進めた
空に教わった店名をモゴモゴと反芻しながら、少々暗い通路をゆっくりと
軒先の品物に気を引かれつつも他の買い物客に当たらないように間合いを適当に見計らう

午年を走りたかった一心からかも知れないし、何の変哲もない食い意地からかもしれない
この正月に、是非とも食べたい魚があった
幼い頃に口にした記憶が、今年に限って何故か強烈に浮かんで来たのだ
前日に年納めのライヴを終えていた僕は、あの晴れた空の許で
魚ばかりを思っていた
昭和の昔に凧を飛ばしたりして仰いだ空が、道行く僕の上に広がっていた

無事に、教えてもらったお店に着いた
恐々と値を尋ねる僕
「わかりました ありがとう・・・・・・」
内心安堵

「じゃあ、これお願いします」と子供の気持ちで頼む僕に
同じ値段でも目方の重いものを威勢のいい店員さんは出してくれた
「3枚まではおろすけん、ちょっと待っとって下さいね
で、お客さん、お名前は?」

名札を付けた魚は、代金を渡し終えた小学校低学年の児童に手渡された
それをリュックに入れて、浮き浮きと帰り道を歩き出した
市場をすっかり抜けて大通りへ出たとき、児童はあたまが真っ白になった

「魚の頭、入れてもろうたか確かめんかったばい!」
悩み多き三十路が帰途を雨雲の如く覆い始めた

年忘れの杞憂が、それだった

 

 

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#17 ヨーグルト (2002.03.01)
醍醐
そう呼ばれた液体があると聞く
それは美味らしい
牛乳や羊乳から作る、濃くて甘い飲料らしい

パリのユースホステルに今日の寝床を定めたら直ぐに、
その近くのスーパーに食料調達に出かける
「メインディッシュは何にすべきか?」
とか考えながらカートに手を掛けると、
乳製品コーナーはそのブラウジングコースから外せない
ヨーグルトが欠かせなかったからだ
フランス大革命200周年を迎えたばかりだったろうか?

何かご当地ならではの物を、という訳では決してなかった
それこそ、日本国内でも買えるブランドで構わなかった
ただ、かさに違いがあった
内容量1Kgというのがあって、それが旅のお楽しみの一つだった
左手に抱えて、右手にスプーン
中身を掬う手も止まることなく、底まで続く
当時は日本ではヨーグルトは味の種類もそれ程多くなく、
僕の需要に対してはまだ値の張る代物だった
「ブルーベリーヨーグルト」とか特に少なかったように記憶している

日本で大好きだったクレープもそっちのけで、僕はその乳製品でウハウハ
それまで最大で500g入りしか目にしていなかった僕にとって、
その2倍は悦の極みへと至らしめるに足ろう
関取を初めて間近で見る3歳児の心理そのものかも知れない

子供の頃から、同じ種類・仲間で大きいのに交換を覚えることが度々あった
コーラ、犬、マヨネーズ、鉄道模型、果物、牛乳、ハンバーガー、
お湯掛けて3分インスタント焼きそば、アイスクリーム・・・・・・、
思い起こしてみると、どうやら食べ物がその対象の大半を占めている
食べ物以外には、愛着が残る
言い換えるなら、大きなものがどことなく「かわいい」と思えてくるのだ
どうして容量に惚れてしまうの?
時として教えて欲しいぐらいある

ロシア・カザフスタン・中国・モンゴル、それぞれ四か国の国境線が交わる山の
南山麓側にあるアルタイ(阿爾泰)に行ったとき、路傍に露天でバケツを並べた店を見つけた
包丁などの調理器具を並べた金物屋とも趣が異なる
何の気無しに近付いた

バケツの中には、液体が
「これが世に云う醍醐なるものか?」
と、一瞬頭によぎった
それは、1杯売りをしているらしく、試しに注いでもらった
唇の間を静かに流れて香りを聞く中で
「饐えた醍醐か、もしかしたら、この味は?」
舌先が歯に恐る恐る尋ねた

「マーナイジウ」、店の人は言った
確かモンゴル語ならば「アルヒ」と呼ばれる馬女乃酒、日本語ならば馬乳酒となろうか
ぱっと嗅ぎマスカットばりの香りが立つ
酸味にくせこそあるが、僕にとってはとっても呑み易く、日も暮れる前からクイクイと
クィックシップスハッピィアワーみたいになった
バケツごとガバッと抱えて啜ったらさぞ楽しかろう
バンドのツアーで是非行ってみたい
バケツの廻し呑み
すでに盃ならぬ甕ですな
カメ、ですよ
カメ
甕を真ん中に据えて回る打ち上げの画像が早々とこの想いの内に映されている
勿論ビデオカメラは回りっ放しでお願いします

さて、話を元に戻してドイツに移そう

1Kgのヨーグルトに魅かれた僕は、
ドイツでは週末に安くなる250gの小分けのものがお気に入りだ
味も、パッションフルーツ・オレンジ・いちご・ラズベリー・ブルーベリー・
バナナ・桃・あんず・洋梨・メロン・マスカット・・・・・・、枚挙にいとまもない
とまでは言わないが、果物好きでもある僕をこれまたウッハウハにしてくれる

中には、ピーニャコラーダ味もある
これは、カクテルから名付けられたのかな?
このヨーグルトのほうはノンアルコールっぽいが、カクテルから名付けられたのかな?
このヨーグルトのほうは、お好みのフレーバーをごっそり買い込む
そして冷蔵庫内が暗くならんばかりにどっちゃりしまい込む

ただし、遅い時間にスーパーに行っても売り切れる筈のヨーグルトが
もりもり残っていることがある
「もしやわが天下か?」
と心が小踊りしながら近付いてみると、なんとバニラ味の山だった

「バニラ味こそが、大人も食べつけない大人の味
つまり真の大人の味なのだ」
そんな想いが禁じ得なかったその日、一体何個買って行ったのか
物覚えまでバニラ味がある
断って置くが、決して毛嫌いはしていない

 

 

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