#1 オム道 |
博多では屋台をはじめ居酒屋などでオムレツを注文するのが 3回に2回は僕の定番になっている 納豆オムレツとか明太子オムレツなど,箸に親しむメニューは数多い ケチャップを垂らした後にマヨネーズを細く綾のように掛けるのは 眼でも美味しいと思わんばかりだ。 家のそばのEngelsburger通りを走る345番のバスに乗って 通勤時間でも人気のまばらな広場に,毎週木曜に市が立つ そして帰宅 密かにオム道の五体投地は続く。 |
#2 パン |
テレビCMで,ふわっとした食パンとかが出てくるのが思い浮かぶ ふっくらした白い肉とでも呼ぼうか 焼き上がりの柔らかいパン 溶かしたバターまたはオリーブ油とかに軽く浸してパクッ! 楽に楽しむ味を思い出す 詳しいことは今から調べるつもりだが |
#3 ビールの海 (2001.07.23) |
「今年は平年より早く梅雨が明けて,もう暑くて!」 先日,電話口でそう言ったのは,このHP作成者のKenny氏 彼の言葉を聞いて, 「でも,お盆まで1ヶ月以上はあるからそれまで海で遊べるよ!」 と間髪入れずに返したのが,この「どコのどイつだ?」執筆の文吾 期待以上に早い夏と,期待させない程涼しい夏とが 電話回線を介してせめぎ合う 気象学者の中には,梅雨と春でも夏でもなく独立した季節として 梅雨が嫌い,な訳ではない そしてあっさり夏が来る 過ごしにくいながらも,海で水と戯れるのが好きだった 曽て,海でデートしたことがある 夜中に街を離れた二人は,夜明けを待たずに浜辺に着いた 「あの,ここねぇ,うちの駐車場なんだけど・・・・・・」 近くを見ると,海の家 昨日から融け合っていた水平線から離れ始めた空は, (続) 「夏の思い出を描こうと,クレヨンを探してみたら,君に遭遇した」 **************************************** 海の家は,案の定ひんやりとしていた ただ海パンに穿き替えただけの僕は,先に出て場所を決めた後 「おまたせ!」 海に入ったり出たり,一挙手一投足,ドキドキ ビールはキンキンに冷えていた 「わたし,こーゆーの,好きなんだ」 ビールは素敵な素足を素朴に伝わっていく 今度はその足に砂をまぶしていた 今思えば,彼女との海での出来事は 元気だろうか,今も彼女は? 今度は,一緒にビールの海で泳ぎましょう |
#4 東習志野八丁目 |
僕がまだ小学校に上がる前か上がったばっかりの頃だったろうか? 親に連れられて,津田沼駅をよく通った 当時は国鉄津田沼駅と呼ばれた方だ ちなみに,私鉄の京成津田沼駅というこちらはこちらで 地域交通の要衝みたいな駅もあるが 二つの駅が隣り合わせと呼べるのは USA的感覚か北海道的感性ぐらいのものだろう さて,今やJR津田沼駅となったこのステーションには そのコンコースの下には,バス乗り場がある 今でこそ立派な北口だが,僕が親に手を引かれていた頃 整備された今のバス乗り場を先に識ると,以前のバス乗り場をそれとは そこから,おそらく現在とさして変わらない数の行き先へバスが発ち そして,僕の気を引くバスがまた一輌 |
#5 カラオケは好きですか? |
カラオケは好きですか? 先日,博多で友人と話している中で,現代日本の文化が世界に誇れるものは おそらくカラオケとパチンコぐらいしかない,というようなことになった これらに廻転寿司も加えて「文化三羽鳥」とでも呼ぼうか? 僕は直接パチンコ台の前に座ることもないが 閑話休題 話を続けるうちに,彼は千葉県北部にあるレストランのマスターでもあり この出会いから一年以上は経ったあろうか? ゴルフといえば打ちっ放し |
#6 宅配ピザ屋 (2001.07.13) |
僕が博多で一人暮しを始めてまもなく アパートの郵便受けにチラシが一枚 宅配ピザ屋からだった 5月末か6月初めだったかな? 新しい生活も梅雨間近になると新鮮さが褪せて 「面白いこと,ないかいな?」 と心の中では重箱の隅をつつく日々に突入していた 「ニュース」を勝手に作ろうと思い,カレー好きでなくとも知る あの1300gカレーに挑んだりした この経験は,十年経とうという今も,事ある毎に話題に上る トラウマのようになっている 何故って? それはね,20分以内で食べ切れなかったからなんだよ 白旗が冷ややかに囁かれる口コミ情報にもならないまま 青年の狙ったニュースは,新しさを帯びることなく 単なる物笑いの種として,伝説の如く語られるのみである それも,本人のみに依って告げられるばかりだ そんな切ない気持ちからまだ抜け出せていなかった僕の目に そして10年が経つ 先程手にしたメニュー付きのチラシをもう一度見ていたらなんと おとなしく待つこと十数分,「ジリリリリ!」呼び鈴が鳴った 1300gで悪夢になりかけたカレーも,10年経って希望のルーに育っていたようだ |
#7 ホッピー (2001.08.07) |
盆を待たずして,肌寒めになって来た この辺りは,梅雨がこない分,秋が早く訪れるのか? ビールを再び常温で飲むのもそう遠くはなさそうだ 正に「夏をあきらめて」状態だ ちなみに,ビールは徒歩2分強で着く食料品店兼ビール屋 「新宿」で思い出したある飲料がある ホッピーと呼ばれているが,おそらく正確に表すならば 最近は東京に赴く度に,「ホッピーだよ,おっ母さん!」的傾向が強い ある意味,東京観光の花の如きアイテムのようにも受け取れる ホッパー暦がまだ浅いせいか「ビールあってのホッピー」 ホッピーが麦芽飲料であることが,時としてこのように裏目に出るのかも知れない 誰とて,期待に反する結果には,なかなか馴染めない |
#8 青島ビール (2001.08.07) |
最近よく聴くアルバムで,Ego-Wrappin'というユニットの「満ち汐のロマンス」がある 去年博多で,今年岡山でそれぞれ別なCDを聴いた ちなみに,家にあるのは岡山で聴いた方だと思う おぼつかない記憶なので,もしかするとまた別のCDの可能性もある さて,このユニット名を見ながら,“Edo-Cuttin'“という語が浮かんだりする どちらが早かったしろ,既に一昔前の娯楽ネタとして納まっている筈なので, 類似品に似つかわしくない名称を付した商品を「パチ物」などと呼ぶが もう五年は経つだろうか,北京から夜汽車で山東半島に向かった そして漢字は「琴島」だった 少なくともQingtaoの青島ビールを装って売られてはいなかったので 日本でも名を馳せる青島ビールは 今度青島に上ることがあれば,のっけから「琴島」を殊更注文したい |
#9 冷やしビール (2001.08.22) |
秋限定のビールが,丁度売られ盛りの今日此頃だろうか? 季節感に溢れた衣生活に疎い僕だが,それなりに服装に表れる山水紫明の移ろいがある 「今ある」ことよりも「曽てあった」ことにより 真夏日 そんなある日,ケース買いしているビールの19本が終わり ぐつぐつ鍋は煮えて来たか? 箸を伸ばしつつ,ストーブを思い出す これは,8年ほど前に中国東北部(いわゆる旧満州)でレストランに入ったときに 店を出てから帰り道を考えかけただけで,強い酒にもなかなか酔い込めなくなる 鍋に追加の具を入れた |
#10 アイスクリーム(2001.09.01) |
「アフリカのどこですか?この写真を撮ったのは?」 とまで尋ねられたことがある 2001年の今年からしてみると2年前の1999年に出したCD “Mongo Riant”のジャケット写真がそれだ あのジャケットを眺めていると、僕自身も行ったことのない場所で CDが出る前年に撮影をした 機材の片付けが済んだあとに食べたホットドッグも忘れられない 先日、車で来るアイスクリーム屋に遭遇 「もう少し大きめかと思ったのに」とシビアな現状認識の傍らで 確かに、特に暖かい時期に食べるアイスは時に厄介者だ さて、初デート中に、もしそんな事件が発生したら 逆に、アイスはトリプルか若しくは四重はたまた五重の塔で注文し こうも輝く二人がホットドッグよりも熱く、チーズのように申し分なく Mongo Riantのジャケットにもあるアイスクリーム屋が車でやって来る |
#11 東習志野八丁目(2001.09.03) |
#4からの続き 僕が帰途のバスを待っている間に 「東習志野八丁目」と方向掲示幕が表示するバスが一輌 また一輌と出発する 何度も目にするうちに、愛着めいた感覚が育って来た 津田沼駅北口を発った後 おそらく僕の住む所とほぼ同じ方角に進んでいくようではあったが 具体的な地理関係は掴めていなかった 親しみが沸く反面、その地点は未知の世界の色合いを強める 不思議な気持ちで、いつも僕は帰りのバスに乗る 当時の津田沼駅北口から出発する数あるバスの中で 確かに、幼い僕のイメージなどたかが知れたものだが それから、この“手の届かない親し気な場所”はどれくらい続いたのか そんなある日、「津田沼駅」行きのバスが新しくいつも乗り降りする別の駅から通るようになった T字交差点だった頃は、おそらく建物が何かしらあって 通り始めた「津田沼駅」行きは、この駅の西口を出て そこに、なんと「東習志野八丁目」バス停はあった 親しげな未知の世界よ、こんにちは! |
#12 アイスクリーム (2001.09.15) |
アイスクリーム それは冬の食べ物だ アイスクリーム 夏は直ぐに溶けるから アイスクリーム、ソフトクリーム、フレッシュクリーム この街に来るようになって、はや一年が過ぎた イタリアに近いせいか、“アイスカフェ”が処々にある 最近、球が大きめの店を発見 この店は、いつも買い物に出かける市の中心から離れたところにある 水曜日には、ティラミス(のアイス)とストラッチャテーラ(とか言ったかいな?) 眼下の冷蔵ケースの中には、ざっと20種類は並べられている 亜熱帯の広州とは別な類の寒さがある冬のこの町は 最近見つけたその恵みの“アイスカフェ(Eiscafe)”も冬の眠りに就くのか? 今日は土曜日 (註)掬う順番も考慮すると380通り |
#13 フラポ(2001.10.13) |
路線バスは“The Bus”と車体に書かれたものしか走ってなかった記憶が 「ハワイ」と耳にする度に沸き起こる 浜松町からモノレールで羽田空港 そしてここから飛行機 いまから20年以上も前のことである 今日は夕飯を外で済ませた そして、トースターで軽く焼いた扇形に切ったパンに ソースは、大半はヨーグルトベースと感じられるツァヅィキ 辛いものに馴染むことはや15年の僕は 今日の店は、つい最近オープンしたばかりだそうだ さて、このフラポ、今日の店のは久し振りの三塁打的美味しさだった 暮れなずむ街角の店で食べていたフラポは、暫くすると僕をハワイへと連れて行った 一部残すことで満足と感謝を表すことが主流の文化と 以前、中国である画を見た 時として、残すことを許すほうが、残すまいと戒めるよりも |
#14 博多にて (2001.12.16) |
「解散問題に揺れている」 エルデルの、ドラムス筑前守とある晩のこと博多で会う機会があった 吹く風もさほど冷たくなく、ヘロ酔いすれすれで二人は三軒目に到達した そこは博多でライヴをすると2度に1度は打ち上げ場所としてお世話になる 筑前守との一席は、そんな玉手箱を安全に撤去する作業でもある ここまで書いて、思い出すのは「黒ひげ危機一髪(あれは、一発と書かれていたかも?)」 さて、二人の前には封を切ったばかりのイモ焼酎5合瓶と刺身盛り合わせが置かれていた 「これこそ、博多っていう感じですね・・・?」 いつのことだったか、筑前守が僕に話してくれた 「なんで不思議に思ったとですか?(“と”を高く発音する)」 「いいかヤモト、他の土地はどげんか知らんばってん 遅く福岡に移った僕が気付かずにいたことが、また一つ明らかになった そんな海の幸とは公私共に親しいひでき君から、今さっき電話が入った |
#15 マルク (2001.12.18) |
・・・・・・さよなら、マルク! 「この1マルク硬貨、がなんと15ユーロに!」 僕のドイツで住んでいる町のバス停などで コイン収集家しか関知しないようなネタが此処ぞとばかりに表に出てきている背景には そこで、こんな広告で人々にそれまで貨幣集めを促しているようだ 次にドイツに戻ったら、もうユーロだらけだ ただ、同じ通貨を使っていても、その読み方は各言語に依るので “ペセタ、クルゼイド、ドラクマ、リラ、フラン、ギルダー、マルク・・・・・・” 各通貨の名称を今一度声に出してみて欲しい |
その16 おさかな (2001.08.07) |
「ブリブリブリ、ブリブリッブリ・・・・・・」 寒々とした9月とは打って変わって小春日和目白押しの10月のことだったろうか。 デュッセルドルフに魚屋さんが見つかった 僕は、汽車で1時間掛けてでも出向く 某アミノ酸 そんなちょっぴり幻聴気味の僕のお目当ては、魚の頭 博多に来て何年も経とうというのに、昨年末初めて柳橋連合市場を訪れた 12月30日、渡辺通り1丁目交差点を東へ渡った辺りから道が混み始めた 午年を走りたかった一心からかも知れないし、何の変哲もない食い意地からかもしれない 無事に、教えてもらったお店に着いた 「じゃあ、これお願いします」と子供の気持ちで頼む僕に 名札を付けた魚は、代金を渡し終えた小学校低学年の児童に手渡された 「魚の頭、入れてもろうたか確かめんかったばい!」 年忘れの杞憂が、それだった |
#17 ヨーグルト (2002.03.01) |
醍醐 そう呼ばれた液体があると聞く それは美味らしい 牛乳や羊乳から作る、濃くて甘い飲料らしい パリのユースホステルに今日の寝床を定めたら直ぐに、 何かご当地ならではの物を、という訳では決してなかった 日本で大好きだったクレープもそっちのけで、僕はその乳製品でウハウハ 子供の頃から、同じ種類・仲間で大きいのに交換を覚えることが度々あった ロシア・カザフスタン・中国・モンゴル、それぞれ四か国の国境線が交わる山の バケツの中には、液体が 「マーナイジウ」、店の人は言った さて、話を元に戻してドイツに移そう 1Kgのヨーグルトに魅かれた僕は、 中には、ピーニャコラーダ味もある ただし、遅い時間にスーパーに行っても売り切れる筈のヨーグルトが 「バニラ味こそが、大人も食べつけない大人の味 |