#1
不得手な家事を手伝うことが今世紀に入ってから
増えたせいか,FMをよく徴収している
WDR3という局とEUROPAというところが面白い
前者はクラシックが主で,最近のイージーリスニングになった
「結構クラシック好きっちゃんね」とか再確認

EUROPA局では,ヨーロッパ各語を中心としたDJが楽しめ,
おそらくパリかブリュッセルから放送しているアフリカ音楽の
番組が楽しみになっている
一昨日はマケドニア(旧ユーゴスラビア南部
ギリシャとブルガリアに接する)のバンドが出ていた
バンド名を一度聞き逃してしまい
そのあとスピーカーにへばりついてみたものの
結局わからずじまい
今度はCD店の“Mecedonia(マケドニア)”コーナーに
へばりつくしか術がなくなった
2001年2月23日現在,僕のよく聴く音楽は

ケルト系
(大西洋沿い)

ラテン
(ヨーロッパと中南米の両方)

ジプシー
(全欧のみならずアフリカにも及んでいるらしい)

バルカン半島

トルコ系
(シルクロードからヨーロッパまで)

以上のようである
5月〜6月のツアーで
ドイツの歌が聞けるとか
くれぐれも期待しないでください

 

 

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#2 (2001.07.04)
6月29日の千葉県内でのライヴを終え,2ヶ月ぶりにドイツに戻ってきた
部屋に入るなり,先ずCDを掛けた
出発前に福岡でもらった月夜さんの「真実の鏡」
彼女は同月24日に同地でライヴだったが
こちらエルデルもツアー中で出払っており,あいにく見に行くことはできなかった

その名残惜しさめいたものも手伝ってか
彼女の音が1万キロを異動した心と体に染み込む
そのとき,時計は十時半過ぎを指していた
午後である
外を見ると,これまた綺麗なお月夜,とでも書きたくなるが
高緯度のせいもあって夕暮れぐらいでしかなかった
もっと北へ向かえば,白夜
沈まない太陽が幾万の観光客を相手にぐるぐると飽きずに廻っている
・・・・・それほど明るくはないにしろ,ぼんやりと暮れなずむ中での月夜さんの歌は
大阪や京都で観たときとは違った趣があって不思議な心地よさもある

昨日,ルール河畔を散歩していたら,フォークを愛する人の歌声が聞こえてきた
奏でていたのはカントリーロード
歌詞は英語だった
キャンプ気分で歌を楽しんでいたのか,バーベキューセットなども見えた
いい匂いもした
午後8時半だった
テクノとクラシック隆盛の傍らで,カントリー音楽(のようなもの)
も多くの人に愛されているようだ
フォークとカントリーの合いの子みたいな歌が,FMから聞こえてきたのを思い出した
きわめてシンプルな曲調も
多くの複雑な感情を解きほぐすのに不可欠なのだろう
まだ一月は,このぼんやりとした夕暮れに事欠くこともなさそうだ
秋の夜長に倣って「夏の夕長」とでも呼ぼうか
夕長だけに音楽イベントも少なくないらしい

 

 

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#3
少々前のことで恐縮だが,今年四月にベルリンでライブを見た
幾つか足を運んだ中で,今も記憶に残るのが,スーダン音楽のライブだ
バンド名なのだろうか,ザ・ジハード・スーダニーズ・オールスターズ
ジハード(Gihad),つまり聖戦?
情報誌でこの名を目撃したとき,見に行くのが音楽なのか
それとも音では表せない別個の具象なのか
一瞬定かでなくなった

これは,ベルリンで初めて見に行ったライブでもあった
まだ乗り慣れていない地下鉄を使って,とりあえず最寄駅には着いたものの
その駅の下にあるとも知らず,少々迷って辿り着いた
初体験は,いつの時代も小はしゃぎぐらいはするものなのか
お店に着いたときの感動はどこか懐かしくさえもあった

そこは,旧東ベルリンに当たる所だった
西ベルリンとどう違うかは正直なところ詳しくは知らないが
どことなく落ち着いた趣を感じる
パリの街角を思わせさえもする
1920年代だろうか,黄金時代を迎えていたとも聞くベルリンの面影が
まさしく今見ている夜景に浮かんでいるのだろうか?
・・・浮き浮きしながら,僕は店のドアに手をかけた

が,オープンまでまだ時間があった
とっぷり日も暮れ,辺りはさして人通りも多くない
ピザでもつまんだのだろうか,この待ち時間のことは
もはやあまりよく覚えていない

そして,開場
中に入るが,あまり人は入って来ない
線路の高架下にあるホールだった
「地下鉄」なのだが,このようにばっちり地上を走る区間も少なくない

電車の振動が,微かながら伝わって来る
まだ人が少ないせいか,それとも初来場の為か,いろいろな物音に気を取られる
他にはどんな人が見に来ているのだろう?
とか辺りを見まわす僕
無難にワンビアを注文し,ステージ近くの脇に腰掛けた

三本目を飲み始めた頃,ステージに人が出てきた
スタッフの人かな,と思う間もなく,ミュージシャンだった
弦楽器担当の男の人とパーカッションを持った女の人の
デュオで始まったかと記憶している
何曲か目からギターとキーボードなども加わってきた

初めて聞くスーダン音楽,ではなかった
十年程前に,実は一度耳にしたことがある
ちなみにそのときも酔っていた,ロシアのウオッカで
バルカン航空で移動の際,その会社の本国ブルガリアの首都ソフィアで
乗り換え待ちをしたことがある
待合ロビーの片隅に,車座になって宴に興じるアフリカ人ご一行様を発見!
その彼らがスーダン人だった
モスクワからハルツーム(スーダンの首都)に帰る途中の留学生とのことで
とりあえずは楽しんでおこうという雰囲気らしかった
僕は彼らの歌にとても魅かれ,気付いたときには既にその宴に加わっていた
僕も調子に乗って何曲か歌ったに違いない

そして,今,この人生二度目のスーダンの調べ,
ザ・ジハード・スーダニーズ・オールスターズ
聴き進む中で僕には徐々に沖縄の音楽が思い浮かんで来る
トロピカルな感じとしてではなく,どこか本質的に近い気がする

その時ふと気に留まった
「沖縄とスーダン(琉球列島)とでは,緯度が近めだ
ほぼ同じ角度で同じ星が仰ぎ見れるのかもしれない
ナイルの氾濫を告げる星は
ニライカナイへの願いを何時間か前に叶えて来たものなのか?」

 

 

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#4
家からバス又は路面電車を乗り継いで30分もかからない町にその公園はあった
園内にある野外劇場のようなところで,僕はそのコンサートを見た

行きの道では,曽て福岡ドームであったサイモンとガーファンクルの
ステージを思い出していた
僕がサウンドオブサイレンスを初めて耳にしたときに
S&Gデュオは既に解散し,それなりの月日も経っていた
つまり,永遠に生で観ることのないユニットとして好きになるしかないわけだ
・・・・・・そう思って疑わなかったある日,再結成と聞くではないか!
生きていて良かった
とドームの客席でしみじみ感じていたのは決して遠い昔のことではない

そして公園に着いた
が,開場まで半日はある
公園には噴水があった
初めての町を,ぶらぶらして過ごし,なんとなく夕方になる
ステージの近くの椅子に座って場所取りをした後
擂り鉢型の観客席の通路を上ってビールなどを求める
若く見積もっても40代の観客が多い
一部の幼児を除けば,おそらく僕が一番若かったとしても過言でない様相だ

夕陽がステージを射しかけた頃,登場したのはGeorge MOUSTAKI(ジョルジュ・ムスタキ)
ギリシャ生まれで,現在はフランスを拠点に活動していたかと思う
このHPを訪れている人々の多くは,この名前を見てもピンと来ないかもしれない

白い扉の前に,バラ(だったと思う)の大きな花束を手にした男性が立っている
こんなテレビCFが,今から25年前ぐらいに流れていた筈だ
何のCMかは覚えてもいないが,流れていた音は今も忘れない
ジョルジュ・ムスタキ「私の孤独」が,それだった

地元の情報誌に目を通しては見たものの,バカンスの時期のせいか
あまりパッとしたプログラムに出会えなかった
期待も相当薄くなって数頁,“George MUSUTAKI”の文字が
この眼鏡を貫いて飛び込んで来た
それも,今住んでいる所からさして離れていないところに会場があるらしかった

CDやレコードでは聴いたものの,生放送などではまだ耳にしたことが皆無だった
彼が既に60歳は超えているのは間違いない
現在も生のステージが観れるとは,本人には申し訳ないが,考えの内にはなかった
それも,まさかこのルール(河流域)地方で機会を得るとは!
真夏の夜の夢,とはこういうことを指すのだろうか?

声量があまりない,と人伝いに聞いていたものの,CDなどで知っている通りの力強い声だった
ギターを弾いて歌うだけでなく,ピアノ弾き語り,そしてアコーディオン弾き語りまでしていた
ベース,ギター,アコーディオン,ドラムス,そして彼本人の五人編成
ムスタキ完全ソロもあった(ような気がする)
僕の知る曲と初めての曲がほぼ半々だったかな?
ろくに知らない歌詞でもヒソヒソ声で口ずさんだりして,珍らしく楽しむ僕のお目当ては
やはり「私の孤独」だった
が,しかし,その曲はギター弾き語りの筈なのに,歌うことにピアノに移って行った

「有名な歌だし,もう歌い飽きたのかも知れない」とふと思った
残念な気持ちよりも,彼の自然な流れを支持(受容)するほうが大きく感じられた
そして,はじめて聴く曲がピアノに乗って流れて来た
「♪よく枕を並べて「孤独」と一緒に眠っていたから・・・・・・・・♪」

歳月も流れ曲の雰囲気が多少違っていたものの,まさにお目当ての「私の孤独」はそれだった
「いや,私は決してひとりぼっちなんかじゃない,私の「孤独」と一緒だから
と一番の歌詞の最後と三番目まで歌い終えたあとに再び歌う
10代にも至らない頃に覚えた透明度の高い世界が,そのピアノを声を軸にして
再びこの心に現われる
「生きていて,良かった」と思い浮かぶや否や,歌は終わりに到った

そして何曲か歌い,踊ったあと,演目は終わった
ムスタキをはじめ,ミュージシャン達が再び現われた
アンコールを前にして「では,僕が歌いたい歌をお聴かせしたい」
と彼が言ったような気がする
その歌は,“HIROSHIMA”だった

とっぷり暮れた帰りの道で,ひっそり胸に描いていた
今度は,機会があるならばギリシャのどこかで,ムスタキを観てみたい
勿論,フランスでも

 

 

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#5 (2001.09.03)
××へ:                            

前略,先日君宛てにこちらから郵送したものは既に届いただろうか?
中味は,フランス・ギャルのCD
君が車の中で掛けていたのはフランス語版だったけど
今皿聴いて欲しいのはドイツ語で歌っているやつだ
Bebe requin(ベベ・ルカン)とか聴いたことのある曲が
そっくりそのままドイツ語になっていたりして面白い

1967年から1972年までの間の曲が
僕のフランスギャルのCDに収録されている
ちなみに,このCDは君の許にあるものとは別だけど
入っている曲は殆ど変わらない
どちらも,“ドイツ語版ベスト”なのだろう
詳しい事情は知らないが,夢見るシャンソン人形として
日本でも知られるあの曲のドイツ語版は少なくとも
この二枚の中には収められていない
日本でヒットを飛ばしていても
他の国ではお馴染みでない曲なのかも知れない
もし,見つけたりしたら(聴き付けたら)また送るよ

二つ以上の言語で表現する歌い手に,興味がある
別な見方をすれば,何らかの理由で翻訳する必要があったということだ
以前,ビートルズが「抱きしめたい」をドイツ語で歌っているのが
収められた音源を見付けたことがある
CDだったか,テープだったか,君にも聞かせたことがあったような気がするけど
覚えているかい?
それとも,僕が君と知り合う前に聴いていたのだろうか

この文章を綴っている時点での僕は
1960年代から70年代にかけてのドイツの状況について何も知らない
ある歌詞を翻訳して,それを原曲を歌う当人達が演奏する
しかも一曲や二曲ではない
商業音楽だから,とばかり言い切れるものとも限らない
勿論,その地域なり国の言葉で歌うほうがウケがいいということもあったのだろう
いずれにしろ,のっぴきならない背景があったと思うけど,どうかな?

フランスギャルの場合は,フランスからドイツという流れになるよね
ヨーロッパの中にある隣り同士として,あれやこれやと結びついてはいるけれど
仲良しという雰囲気とは一味違うと感じるな

往時も,おそらく以来今もずっとドイツがフランスに対して抱いているけれど
あまり口には出さない「憧れ」が
30数年前のフランス・ギャルへの「需要」のような気がする
そして,彼女はドイツの恋心を奏でる
フランス・ギャルに関してはと,まあ想いが勝手に逍遥しているけれど
君のほうが特に詳しくないかな?
今度会うときにでも,CDの感想も含めて色々と教えてね

されど何はともあれドイツ語でもフランス語でも,耳当たりは最高!
わくわくしながら,安全運転って感じかな?
では,体に気を付けて

草々

 

 

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#6 (2001.10.03 ドイツ統一の日)
ライトアップ
すると,ステージの上に,グランドピアノが一台

ライヴを見に行く筈が,ただの街並み拝見に変わってしまったことが数回あった
おおよその見当を付けて歩いてはみたものの,道を尋ねる人に出会うことさえなく
時にアスファルトの上を,時に石畳をただ進む破目に遭う

街の景観を管理(保護/保全?)する法律でもあるのだろうか
大抵のライブ会場には,「目立つ看板」たるものは見当たらない
少なくとも僕に見えたものは殆どない
番地(?)を頼りに,とっぷり陽の沈んだ通りをただただ行くのみである
そして道行く人に手当たり次第
(と言ってもやはり地元民とおぼしき向きを選びつつ)訊く
通りの表示も,音には見えにくく,お初の場所は巨大迷路にさえなり得よう

今回も頼りない勘を稼動させてトボトボ・・・・・
「劇場」という語があるバス停に辿り着いたものの
情報誌で確認したのとはどうも雰囲気が合わない
近付いて見ても,なんだか人気がなさ気な建物
一世風靡したポップスターが今日のお目当てだ
いくら“嘗て”のスターであっても,この雰囲気は静寂とし過ぎる・・・・
などと実際のところ中までは見えてもいないくせに,軽率に判断する僕

そこから離れて,再びバス通りを歩いてみたところ,通り掛かる人の影
「あの,この会場に行きたいんですけど,道を・・・・・」
「そこの左側だよ。ほら,すぐそこ!」
ダンケ・シェーン,ありがたいことに,さっきの建物こそが会場だった
看板の見えにくい会場が多い中,やはり今回もあわや見過ごすところだった
そして扉を推し開け,先ずは受付らしき窓口で念の為尋ねる
すると,すぐそばが入り口だと教えられる
落とし目の照明は,明るい所からは見えにくい
とは言えど,すぐそばの入口を尋ねるなんて,仕方ないけどやはり奇妙だろう

決して少なくない数の観客
ところどころに置かれた小さなテーブル
椅子は二脚ずつ置かれていていたかと思う
空いている席に手荷物を置いて,バーカウンターに飲み物を買いに行く
ま,とりあえずビールですか

グランドピアノのそばに人が出て来た
そして,客席からも見える所に,何か細長い物を縦に置いた
「トロフィーかな?」
とか考えるうちに,彼はピアノを弾き始めた
それから暫くいて,歌声が二つ聞こえて来た

このライブのタイトルは,“ABBA Jetzt”
「アバ,今」
とでも訳すのだろうか?訳し終えた瞬間
「今○○,アバ!」
と様々な句が浮かんで来る
まで/から,でも/なら,ゆえ/にも・・・・・
どれを当て嵌めてみても
僕は是非観たかった

ステージには,歌う二人の男性とそのピアニスト(彼も何曲かコーラスで入っていた)
あれ?二人のお姉さんは?
以前写真で見たときは“2組の夫婦だった”ような・・・
何はともあれ,僕にとっては初めてのABBA
そして,三人編成という新鮮さ
オープニングは“キミは踊る女王様!”
のっけから来ましたね
軽快な振り付けが,歌に乗って観る者を和やかにしてくれる

歌う二人が,おそらくもともとのABBAのメンバーで
そこにピアニストが新たに加わった形なのだろう
僕はこのとき初めてABBAの音をしっかりと聴いただけなので
所謂四人組の頃はほとんど知らない
昔,実家に藍色のジャケットのレコードがあったような気がするが
中味の音までは覚えていない

そんな僕を不思議な気分にさせつつ,ステージは進んで行く
4人のときはアレンジが全然違うのかも,と思わせる曲もあるかと思えば
おそらく曽てのイメージを保っているのだろうと感じさせるものもあった

一度ヒットを飛ばし,且つ多くの人に聞こえた曲が
斬新な編曲で生まれ変わって流れて来る
竹を割ったようなアレンジ,とでも呼ぶべきものか?

この文章を綴っている時点で僕はまだ経験したこともないけれど
「聞かせる曲」に大幅に手を加えようと思うのは,容易なのだろうか?
元のイメージに引かれることなく,バッサリと切りバシッと貼る
そんな作業は,時として神技でしかない

「お笑いスター誕生」というTV番組が,曽てあった
まだ覚えている人も少なくなかろう
そこに,同じネタで二回出たグループを思い出す
勿論,2回目はバリエーションで
確か途中からバレエを踊り始めたかと思うが
その2回目は特に,鬼気迫るテンションで骨髄から笑いが引き出された

ミュージシャンであり,そしてエンターティナーである
そこに大胆さと緻密さが
そんな神技でパフォーマンスに織り上げられて行く

メンバーが仲間割れするシーンあり,ステージの奥からラジカセを持ち出して
トルコ風の曲を流してはそれに合わせて歌い踊るコーナーもあった
密かにミュージカルだったのかもしれない

4人組の,往年のアバを識る人の眼に,今のアバはいったいどう映るのだろう?
何はともあれ,あのステージングの小気味よさとダイナミズムは
“ポップの王様”とも称されても疑いはない
アバならではのもの,だと思った
歌う二人の位置と照明とがところどころで入れ替わり,差し替わる
今見ているものが,つまりABBA
遅かれ早かれ誰もがそう思っても不思議ではなかろう
ABBA Jetztは,「今こそ,アバ!」に落ち着きそうだ

最後に,腑に落ちないと言うと大袈裟だが,印象的だったことがある
歌詞に英語が多いのは広く知れ渡っているとしても
彼らのMCは,最初から最後までずっとドイツ語だった
少なくとも僕の耳にはスウェーデン語の歌詞は言うまでもなく
MCも全く聞こえて来ない
つまり,「ドイツではドイツ語で!」
いやはや,恐れ入りました
ちなみに,ピアノの上に置かれていたのは,スウェーデンの国旗だった

 

 

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