#1 |
不得手な家事を手伝うことが今世紀に入ってから 増えたせいか,FMをよく徴収している WDR3という局とEUROPAというところが面白い 前者はクラシックが主で,最近のイージーリスニングになった 「結構クラシック好きっちゃんね」とか再確認 EUROPA局では,ヨーロッパ各語を中心としたDJが楽しめ, ケルト系 ラテン ジプシー バルカン半島 トルコ系 以上のようである |
#2 (2001.07.04) |
6月29日の千葉県内でのライヴを終え,2ヶ月ぶりにドイツに戻ってきた 部屋に入るなり,先ずCDを掛けた 出発前に福岡でもらった月夜さんの「真実の鏡」 彼女は同月24日に同地でライヴだったが こちらエルデルもツアー中で出払っており,あいにく見に行くことはできなかった その名残惜しさめいたものも手伝ってか 昨日,ルール河畔を散歩していたら,フォークを愛する人の歌声が聞こえてきた |
#3 |
少々前のことで恐縮だが,今年四月にベルリンでライブを見た 幾つか足を運んだ中で,今も記憶に残るのが,スーダン音楽のライブだ バンド名なのだろうか,ザ・ジハード・スーダニーズ・オールスターズ ジハード(Gihad),つまり聖戦? 情報誌でこの名を目撃したとき,見に行くのが音楽なのか それとも音では表せない別個の具象なのか 一瞬定かでなくなった これは,ベルリンで初めて見に行ったライブでもあった そこは,旧東ベルリンに当たる所だった が,オープンまでまだ時間があった そして,開場 電車の振動が,微かながら伝わって来る 三本目を飲み始めた頃,ステージに人が出てきた 初めて聞くスーダン音楽,ではなかった そして,今,この人生二度目のスーダンの調べ, その時ふと気に留まった |
#4 |
家からバス又は路面電車を乗り継いで30分もかからない町にその公園はあった 園内にある野外劇場のようなところで,僕はそのコンサートを見た 行きの道では,曽て福岡ドームであったサイモンとガーファンクルの そして公園に着いた 夕陽がステージを射しかけた頃,登場したのはGeorge
MOUSTAKI(ジョルジュ・ムスタキ) 白い扉の前に,バラ(だったと思う)の大きな花束を手にした男性が立っている 地元の情報誌に目を通しては見たものの,バカンスの時期のせいか CDやレコードでは聴いたものの,生放送などではまだ耳にしたことが皆無だった 声量があまりない,と人伝いに聞いていたものの,CDなどで知っている通りの力強い声だった 「有名な歌だし,もう歌い飽きたのかも知れない」とふと思った 歳月も流れ曲の雰囲気が多少違っていたものの,まさにお目当ての「私の孤独」はそれだった そして何曲か歌い,踊ったあと,演目は終わった とっぷり暮れた帰りの道で,ひっそり胸に描いていた |
#5 (2001.09.03) |
××へ: 前略,先日君宛てにこちらから郵送したものは既に届いただろうか? 1967年から1972年までの間の曲が 二つ以上の言語で表現する歌い手に,興味がある この文章を綴っている時点での僕は フランスギャルの場合は,フランスからドイツという流れになるよね 往時も,おそらく以来今もずっとドイツがフランスに対して抱いているけれど されど何はともあれドイツ語でもフランス語でも,耳当たりは最高! 草々 |
#6 (2001.10.03 ドイツ統一の日) |
ライトアップ すると,ステージの上に,グランドピアノが一台 ライヴを見に行く筈が,ただの街並み拝見に変わってしまったことが数回あった 街の景観を管理(保護/保全?)する法律でもあるのだろうか 今回も頼りない勘を稼動させてトボトボ・・・・・ そこから離れて,再びバス通りを歩いてみたところ,通り掛かる人の影 決して少なくない数の観客 グランドピアノのそばに人が出て来た このライブのタイトルは,“ABBA Jetzt” ステージには,歌う二人の男性とそのピアニスト(彼も何曲かコーラスで入っていた) 歌う二人が,おそらくもともとのABBAのメンバーで そんな僕を不思議な気分にさせつつ,ステージは進んで行く 一度ヒットを飛ばし,且つ多くの人に聞こえた曲が この文章を綴っている時点で僕はまだ経験したこともないけれど 「お笑いスター誕生」というTV番組が,曽てあった ミュージシャンであり,そしてエンターティナーである メンバーが仲間割れするシーンあり,ステージの奥からラジカセを持ち出して 4人組の,往年のアバを識る人の眼に,今のアバはいったいどう映るのだろう? 最後に,腑に落ちないと言うと大袈裟だが,印象的だったことがある |