賀 正

 お陰様で新作“ごほうび”も完成し、無事に新年を迎えることが出来ました。旧年中に様々な形で也許文吾の音楽を支えて下さった皆様に、改めて感謝の意を表します。
今年は,“動く年”と決めました。
 先日出演した天神エフエムの番組中にも申し上げましたが、初夏からチベットに赴きます。お寺に立ち寄りながら歌を奏でつつ、チベット自治区の中心地であるラサを目指す・・・、これまで個人的に「奉納の旅」呼んでいたもので、近しい知人には事ある毎に話して来ました。
その帰り道すがら8月には佐藤エメデー氏と上海で落ち会い、キューバ音楽を堪能する計画を立てています。彼は、昨年11月に完成した新作“ごほうび”のジャケット写真の撮影者であり、文吾作品“なんでもある!”や“Phuu”に録音で参加しています。
 90本のステージを務めさせて頂いた昨年は、亜熱帯での衝撃が目立つ一年でした。3月の二度目の沖縄、4月末から5月にかけてのキューバ、6月は三度目の那覇から台湾初訪問、7月は奄美大島で減肥脂・願!結成・・・新作“ごほうび”に、それら各地特有の湿度なるものが感じられるとの感想をお持ちの方がいらっしゃいました。
 そして気候帯としては、亜寒帯に属しようかと思われるソウルを12月に訪ね、またまた好感触を手にして来ました。かなり久し振りの訪問でした。話が逸れますが、歌う僕の肉体組織造りに必要不可欠な食が、韓国では特に心身ともにその芯まで震わせました。唐辛子とにんにくが大好きなんです。四川料理・タイ料理・朝鮮半島料理。インドネシア料理、おそらくメキシコ料理・・・萌えますねぇ、味蕾も(笑)。 食の為だけに、歌を運んで行きたい位ですね。
 閑話休題。“ごほうび”は陰陽(Nega−Posi 京都)で2004年早春からのんびり録り貯めして来たものだということもあり、録音させて頂いて、且つ博多から来させて頂いているお礼の気持ちを込めて、年末のジャイアントシリーズへの出演枠をお願いました。この時期の陰陽での出演は初めてだと思います。 その翌日、最後の一本となった大阪ガラガラでのソロライブ“ごほうび納め”を終えたとき、動きたい気持ちが芽生えていたのでしょうね。
 関西から博多に戻った大晦日に、「台湾で yamoto mongo をネットで検索したら、ドイツのイベント会社のURLが出て来た」と知人から知らされました。早速アクセスしてみると、以前ベルリンに滞在していた際に知り合った方のサイトでした。「・・・そういえば、売り込みにいったなぁ」と記憶を呼び覚ましつつ、元日から早速新譜のサンプル版を発送しました。動く年にふさわしく、幸先の良いスタートが切れました。
 この文吾文を執筆している現時点で、一月中旬に台湾に行くことにしてします。昨年6月に初訪問した時に受けた、気迫の込もった聴衆の眼差しが印象的でした。僕が向かうのは、漠然とした外国というよりも、中華世界であったり、アジアであったり、ヨーロッパであったり・・・
その時々によって違いますが、具体的な場所なり街であると思います。
 意思の上では既に立ち上げた真聲(まごゑ)レーベルも徐々に体勢を整えて参ります。会社設立の門外漢の僕ではありますが、今後の必要性に応じ、また時として時代の脈を先んじて取れるような動きを目指しますので、各方面の諸氏諸兄のご鞭撻をどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 最後になりましたが、皆様にとって今年が素敵な一年でありますよう、お祈り申し上げます。

 2006年 一月吉日   也許文吾

 

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也許文吾から2004年スケジュールを眺めてのご挨拶

 一言で言うと、福岡に戻ってきた一年となった。
 96年秋に関西方面へのツアーを始めてから、“本拠地”福岡・博多でのライブが相対的にも実質的にもかなり少なくなり、家があったにも拘らず福岡にいない人のように思われていたこともあったようだ。・・・そんな中、今年は福岡県内でのライブが30本に迫り、いつになく地元に親しめた感が強い。
 昨年完成したCD“Phuu”のPRを意識したこともあって、イベント出演が多くなった。北九州へも10回以上赴かせて頂いた。池田洋介主宰の「魂部」最多出演者となったと聞いて驚いた。その魂部の今年のファイナルの会場の北九州市若松ピエロに赴いたとき、その昔ライブ活動とは無関係にドライブでしばしば訪れた高塔山公園を密かに偲んでいた。高塔山は、ピエロのすぐそばにある。
 博多でライブ活動を始めて13年が経ち、漸く一周して来た。12年振りに再会したミュージシャンが僕のことを覚えていてくれて、感無量だった。その再会は、僕にとっては新しい扉に思えている。彼とは既に3度共演させて頂いていて、年始にも1軒共演のさせて頂くことになっている。

 今年のもう一つのキーワードは、沖縄。15の春に沖縄の民謡のカセットを手にして以来、ずっと足を踏み入れることのない場所だった。夏頃だったろうか、今行かなければ一生行かずじまいになると感じたのは。6月にお会いした横浜の方にお店をご紹介頂いて、6日連続のライブツアーを組んだ。美しい海に肌を浸すことこそ今回はお預けとなったが、「来ずして死ねない」場所だったと改めて識った。到着翌日に那覇市内のお店の飛び入りライブの席上で知り合ったばかりのギタリストと5回共演(合奏)させて頂いた。・・・こんなことが、これまでのツアー中にあっただろうか? 余談になるかも知れないが、行きたくも未だ到っていないところが、僕にはまだ二つある。

 9月からのライブツアーに“2004秋冬 夜は神様のごほうびが”といつタイトルを付けてみた。僕の意図しないところで、相当の“ごほうび”に恵まれたようだ。エンターテイナーシップの真髄を教わった博多にも幸(さち)があり、「身近なトロピカリティー」と15の春に感動しその後ひたすら心に思い続けた沖縄にも同じく幸があった。
 2005年は、“東京を見詰め直”そうと決めた。博多と沖縄で得た確かな“幸”の好印象が、これまで赴くことの少なかった関東地方へと僕の目を向けさせた。僕にとっては「約束の地」とも言うべく未踏なれど訪問希望の地への準備も視野に置きつつ、1月4日から始まる2005年のライブに臨みたい。

 これからも、僕の歌をどうぞお支え下さいますよう、お願い申し上げます。
 ご精読、ありがとうございました。

 也許文吾

 

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也許文吾から2003年スケジュールを眺めてのご挨拶

 かなりしょっぱい。
 我がホムペながら、久しぶりに読み返してみたところ、去年の見通しはその多くを実現せぬまま終わっているのが目立つ。実にしょっぱい。
 Phuu完成後のツアーを始めとする活動は、おかげさまで秋穫祭のタイトルにあやかってか、得るものの多かった。
3月の青森単発ライブに緒を発する10月の東北ツアー、時期が前後するが9月の四国ツアー。讃岐うどんを楽しむ手ほどきを受けられたのも今後の音楽に多大なる影響を与えようと思われる。
 道を行き過ぎるとあわや阿波かというところにあるお店の素朴なものから、高松市内の冷し肉ぶっかけなど、幼い頃のうどんの国への憧れが一瞬にして叶った。
20年も前の話になろうか、僕はかかりつけの歯科医院がなぜか東京のカンダにあり、数ヶ月に一度定期健診に訪れている。
その帰りに、ふらりと入ったのが讃岐うどんの小さな店。道の課題あり、三角形だったように覚えている。預かった治療費の残りで、うどんを食べた。白出しに、ゴマとしょうが、そして柚子の香りは子供の舌にも新鮮だった。そばとの相性がかなり良いかと僕が思っている“黒い”だ
しが、関東ではうどんでも主流であることは説明するまでもなかろう。
いつか僕が訪ねてみたい土地のひとつに、讃岐は早くから数えられていた訳である。
イギリス、中国、ドイツが今までの人生に顔を出す僕にとって、心理的に遠いところは日本国内にもまだまだ多くある。s正直言うと、知らないところだらけだ。厳密に述べれば、知っているつもりの場所が辛うじて生活圏内にあるに過ぎない。

2003年は、歌が僕をあちこちへ連れて行き出した年として終わろうとしている。

来年は、
1月21日のPhuu全国発売以降、同月下旬から3月上旬まではその記念ツアー。
3月は、京都で録音。
4月以降の予定は、今日現在では見通せていない。
先の10月だったか、来年3月に録音を予定しているお店のマスターとの話の中で
「春の録音が終わったら、今度こそはチベットに行きたいんですよね。歌を奉納しながら、ラサまで。」
と告げたところ、
彼からは「ヤモトがそういう風に海外に向いているから国内で広がれへんのと違うか?」と返って来た。
ふうむ、・・・見事なストッパー振りである。遠くへ行きたがりの割には、遠くを見ることがなかったこれまでの自分と対峙するきっかけを具現化して頂いた。

 先月倉敷で録音したCDも来春に完成の見通しですし、
チベットでの奉納の旅はひとまず控えて、
来年は僕の歌に誘われ導かれ促されるままに、
歌をお届けに参ります。

今年、各地でご愛顧いただき、誠にありがとうございました。
来年も、これまでと同様に僕の歌をお支え下さいませ。
また、お会いしましょう。

也許文吾
2003年12月21日 小倉にて

 

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也許文吾から2002年のライブスケジュールを眺めてのご挨拶

文吾堂HP来訪者の皆様、毎度ご関心をお寄せいただきありがとうございます。 
  わせてラ2002(平成14)年は、1月のアンの家(千葉県白井市)から数えて12月の“ダイヤモンゴ鉱山”まで合イブを13本しました。ここ数年ライブの本数は少な目ではありましたが、特に今年は一昨年からの懸案だった“3作目”のCD制作を優先させようと考え、活動の中心を録音準備に定めました。去年のこの時期、僕自身に対して明確にこの旨を打ち出せていたら、おそらくCDは今年の桜前線と足並みを合わせて完成となっていたのでしょう。 罷りなりにも去年はそのつもりでした。僕の学習能力とは裏腹に、学ぶべきものが多い1年でした。「機が熟す」こともその一つです。
文吾本人の怠惰さ(緩慢な仕事)、予測不可能な紆余曲折などが1日フリーパスでは到底遊び倒せない遊園地のように出現しつつも、そのCD(仮題“イェティの家路”)は来月録音が終る運びとなりました。
本数の多いことが好いとばかりは限りませんが、来年は1月5日の Bin Spark (東京都杉並区) でのライブ初めから3月の“イェティの家路(仮題)”完成を控え、精力的に新たな展開に臨みます。下半期は未定ですが、上半期の構想として
2月は主に中国大陸、
3月は東日本、
4月は九州・沖縄、
5月は本州西部・四国
以上の各地でライブ活動などを繰り広げるべくスケジュール調整中です。各地の“要文吾”の方々をはじめ皆様、これからもライブでの“生文吾(を)参観”など、音と体を動かして廻る文吾へのご声援を宜しく優しく元気よくお願いします。
ちなみに“cyber hometown”と、この文吾堂HPを文吾本人は呼んでおります。全知全能でこそないにしろ、電気と電脳が身近に使える限り、文吾の本拠地としてこのHPが在り続けることを今後意識してご一緒に進みましょう・・・、では!


博多にて 2002年12月23日
也許文吾

 

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