2001.2.23 CDタイトルとツアー

東経135度の証を標準時地点にしている日本のみなさん,お元気ですか?

しばれるような寒さもやがて溶けるイメージが強まる日々ですね
也許文吾(やもと・もんご)はこの冬篭りの時期を「充電期間」と
自分に言い聞かせつつ過ごしています
体重にも顕著な変化は見られません。

昨年から5月〜6月日本列島ツアーのスケジュール作りに取り掛かっています
「列島」と言いつつ太平洋ベルト中心になりそうです
3月中に決まれば,と思っています
HPでも確かめてみてください
各地のみなさん,再び「生もんご」を観に来てね!

3rd CD構想も着想を得て,ゆっくりではありますが曲選びも進んでいます
タイトルはPhuu(プー:綴りは未確認)にする予定
というかそうしたい心算ですが
現在住んでいる場所“Engelsburgerstrasse”にも
インスパイアされたりして心浮きまくり状態です
要するに未定と言うことですね
今回のツアーで区切りが付きそうな気がします
夏に入る頃にはタイトルが決まっていることでしょう

こう書きながらも“Mongorium”とか浮かんできました
このHPを訪れたみなさんは,どんなタイトルがお好みでしょうか?
何かアイデアがあれば文吾だけでなくWeb-ProducerのKenny氏をも
カキコで楽しませてください!
木の芽どきこそ愛の芽を!!
グッドラックな賽の目を!

 

 

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2002.4.28 お願い文吾文

黄金週間。この祝休日の波涛を、みなさま如何お過ごしでしょうか。
旅先で面白いものを知り得た方、文吾堂掲示板へも書き込んで置いてください。
たとえ予想外に時間の経ち過ぎて干からびたモノが出て来ても、
「新手の宇宙食か?」と水分を手荒なユーモアで補うのも旅ならではの一興でしょう。

今日は、みどりの窓口に行きました。
行楽地に向かう切符を求める人の列を尻目に、パラパラと時刻表を見ていました。

ところで、夜行列車って、もう少なくなっているんですね。
5月は関東・関西へもツアーで赴くので、
青春18きっぷで乗れるような都合のいい普通列車が欲しい。
そう思いつつパラパラとページを捲るものの、シンデレラに今宵も外泊を余儀なくさせる
運行ダイヤがほとんどでした。

全くない訳ではありませんが、僕の足にいまいち不具合なものばかり。
公共交通機関ファンにはやはり高速バスか、日中の普通列車しか選べる方法は
残されていないのかも知れません。(勿論、速いのも大好きです)

やおら、レンズの底の眼を閉じてみました。
するとどうでしょう?瞼の裏に浮かぶのは、美しいブロンドの髪と素敵な瞳、
夢で見たような僕好みの背丈、そして優しそうな肌のキミが
汽車の扉に時折アンニュイな表情を浮かべつつ凭れかかりながら手にしていた・・・
週末だけ、一日乗り放題の切符。普通列車に限られるけど、約2500円で5人まで乗れる切符。

・・・昨年8ヶ月を過ごしたドイツでのことでした。
確かに、土曜日、早朝の快速列車は混み捲っていましたが、
それもその筈、この切符をご利用の方々だったのでしょう。

時刻表を見る限り、僕の住むルール川の辺から東に490km離れたベルリンへも、
午前0時を跨ぐことなく一日で行けました。

この切符の他にも、(入会金、或いは登録料のようなものが必要ですが)
1年間有効の「バーンカード」を使うと何曜日の列車の切符も半額で購入できる、
というのがあります。

正規運賃は決して安くはないデーベー
(ドイツ国鉄 Deutsche Bahn の頭文字DB の“デー・べー”からこう呼ぶことも)
は「正しく有効な切符を持っての乗車」検査の手厳しい反面、
利用しやすいように割引にも余念がないようです。
廉価な高速バスも、価格設定上の好敵手なのでしょう。

最近よく耳にする“デフレ(ーション)”を大歓迎してはいませんが、
我が国でも汽車の“ちっき”ぐらいはもうチョキッと安く収めては頂けませんかね?
韓国と日本を結ぶ船賃も、たとえば博多釜山(プサン)間を片道4000円、
往復なら6000円とかにして欲しいですね。

今後の旅客の増加と船会社の取り計らいに大いに期待します。

今回は、「お願い文吾文」になりましたが、是非誰か叶えてください。

七夕の竹一本では到底間に合わない程、まだまだお願いだらけです。早く片付けな!

 

 

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2002.8.14 諫早

数年ぶりに、博多でゆっくり夏を過ごしている。
これは他でもなく、CD録音作業が文吾ナチュラルペースで進んでいるからだ。
昨年の今頃は「年が明けたら」、そして今年の正月には「三月某日」、
はたまたそのお約束の三月になると「五月末」、と延びに延びた3枚目のCDの完成。
作業も進んではいるものの、
残念ながらこの文吾文中でのお知らせは見送らせていただく他なさそうだ。

もう暫くお待ちいただく間、これまでのCDに関して徒然なるままに綴ってみたい。

1994年に出した「なんでもある!───文悟堂へようこそ」
お気付きの方もいらっしゃると思うが、文「悟」堂となっている。
実はこの時期、僕は「弥許文悟(やもともんご)」と名乗っていたからである。
ちなみに、95年秋に現在の「也許文吾」に改めた。
「ワタシに接吻するかも」という意の中国語「也許吻我」と音が近いと言われたりして、
文吾本人は喜んでいる。
字面ではわかりにくくて恐縮だが、中国語ファンの皆様にお伝えしたい。
文吾は“wen wu”吻我は“wen wo”と読み、wuとwoが若干違う音となるので
そのように聞き間違えられるのだという。

閑話休題。この「なんでもある!」の録音を思い付いたのは、93年春だったかと思う。
91年夏から福岡市内のライブハウスで週一回のレギュラー出演を続けてきた僕にとって、
一里塚というか一つの区切りのようなものだった。
その録音作業中、僕の脳裡にはその次の活動がどうなるとか全く見えていなかった。
もっとも、その年の9月からは中国に行くことが決まっていたので、
「ライブ活動は八割方中断かな?」
と覚悟していたせいもある。
93年4月から、僕は通っていた学校を休学していた。
鎖の外れた犬同然の気持ちで、長崎県南高来郡愛野町にあるスタジオに通い始めた。
このスタジオのそばを、島原鉄道が走っている。
「なんでもある」収録の「彼女は」のイントロにも、その汽車の音が聞こえている。
ダイヤグラムに合わせて録音した訳ではなく、いわゆる偶然の産物のようだった。
おそらく最終列車かその一本前なのか、月の清らかな夜の音が収まっている。
線路の遥か向こうには有明海、諫早湾が干拓されていなかった頃の音である。

その前年から、僕は諫早の方々に懇意にしていただいている。
福岡のライブハウスから拡がったご縁で、遂にはCD制作に協力していただけるまでになった。
愛野町は、諫早から諫早湾の南岸を西に20分程車を走らせたところにある。
当時、賑やかなディーゼルエンジンのライトバンを足として使っていた僕はそう記憶している。
今思うと、あのエンジン音を収録していないのは些か勿体なかった。
愛車をCDのジャケットに載せて(写真で)いたミュージシャンもいるし、
愛車音を入れるのも決して悪くなかろう。
ブルンブルンブルブルンブルル・・・・・・!
走行距離20万Kmを目前に廃車にしたあのライトバン、
当分は車を運転することもないことと相まって、
とても懐かしくこの脳裡をブルンブルン。

 

 

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2002.8.27 博多発

この夏は6回程、海水浴に出掛けた。
僕にとって
21世紀最初の海水浴に興じた夏となった。
2000年も2001年も、ヨーロッパに居り、特に海に泳ぎに行こうとか考えも浮かぶ間も許さない

涼しい日々が強く印象に残っている。

もし海がレストランならば、とても信頼が置ける。
顕著な天変地異、或いはは急激な開発などの環境破壊がない限り、
夏後とに海水の味が大きく移ろうこともない。
塩水の味は安定。
心が癒される。
人の手では生み出せそうにない砂を、この手に握っては、寄せる波に溶かさせる。
それでも塩味は変わらない。

港湾都市博多の周辺には、海水浴場も少なくない。
九十九里に匹敵するような長い浜こそないにしろ、泳ぎ易い(水と戯れやすい)場所が手頃にある。

前半の3回、僕は糸島郡志摩町の芥屋(けや。「あくたや」ではない)海水浴場に行った。
専ら公共交通機関を使う僕は、福岡市ないから同市営地下鉄に乗り、そのままJR筑肥線に乗り入れ
前原(まえばる)駅で下車後、昭和バスに乗って芥屋へ。
片道
580円。タクシーだと2500円ぐらい。
4人ならタクの方がお徳で且つ足回りも良いかも?

福岡市の中心から芥屋に行くとなると、地元の地理感覚にすると些か遠い。
「わざわざ行く」感が強かろう。
口の広い入り江(湾)と言う地形が好きなのか、はたまた筆舌に尽くしがたい思い出思い入れ
共に深い場所なのか、足を運ぶ労を惜しまず歩を進める心が、
「海水浴」と思い立つ度に露になるのだ。
個人的に「ケアッケア祭り」かもしれない。

3回とも同じ海の家を使った。
温水シャワー使い放題が嬉しい。
以前は
100円玉で3分、とか定額定時式だったように憶えている。
この変化も21世紀効果なのか?
海の家利用中に2回はシャワールームに行かせて貰った。
「甘い水」の喜びを灼けた肌に知らせる度に、甘い記憶が匂いを漂わせては紛れていく。
もし長生きしてから海を訪ねたときには、記憶の甘さで義歯も痛んだりするのか?
ふと我に還ると、掌で左顎を庇っていたりして、苦笑い・・・・・。

あくまでも夏の風情として、海の家に来るととりあえずラーメンとカレーライスは外せない。
これに類する習慣に、大宰府天満宮参拝後の「梅ヶ枝(うめがえ)餅」といえのが僕にはある。

ちなみに、この芥屋の海の家で食べたラーメンもさることながら、カレーライスの個性的さには
ついリズムを外して舌鼓を打ってしまった。
カレーライスというよりも、限りなくハヤシライスに味付け権を奪われた料理だった。
「カレーの王子様」が出て来ても驚くこと多少だが、あの味はそれを通り越して、
魔訶不可思議三千世界だった。

後半の三回は、福岡市西区の大原(おおばる)海水浴場。
その南には毘沙門山、その麓には元寇防塁。
そこは四季を問わずブルンブルンと遊びに度々訪れた場所から遠くない海水浴場だ。
福岡市中央区天神から、昭和バス「西の浦」行きに
50分も乗れば着く。

最後の1回、波も高く風も強く悪天候のようにも見えたが、海水温は温水並みかそれ以上だった。
空模様とは裏腹に、気分は亜熱帯。

ここでは海の家を2軒使ってみたが、どちらもカレーはカレー、ラーメンはラーメンを出して来た。
本来の味に戻って安心した。
やはり、普遍の味こそが海の醍醐味なのに間違いない。

 

 

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2002.9.25 悩ましきローマの午餐

“ガリッ。”
それは白米を食べていたときのことだった。(炊飯後)
上あごの奥歯の“つめもの”が外れた。
明日は歯科に電話して予約しよう。
少々の苦悶を期待して臨むのは、果たして僕だけだろうか。
今世紀最初の歯科診察、記憶している限りではそうなる。
液体が当たるだけでもしみる。軽微な痛みが走ると、すぐさま舌先を伸ばして庇う。
以前の治療で、削られた跡を確かめるように舌を動かす。

先日、友人二人が結婚した。同じ日に、それぞれ別の会場での挙式。
要は、結婚式が二席催されたというわけだ。
午前中に一つは始まり、もう一つは夕方からだった。
一日に結婚式が二つ入ったのは、僕にとっては処女航海。
昼の方では久し振りに会えた友人も少なくなく杯が進み、
晩の方でもやはり懐しき顔が肴となって頬と共に頬も赤く染まっていく。
どちらも、僕はお祝いの歌を披露させていただくと、心置きなく杯が進んだ。
シェスタと呼ばれる午睡を済ませてヤル気充分のローマ人が食卓に臨む如く、
美酒美讃に興じる昼夜だった。
酔い痴れそうな悦びと、それを回避せんとする恐れとが攻防を続ける。
「歌い終わるまでは……」
と出番までは思い
,お祝いの歌が結ばれると
「家には無事に戻らなければ!」と戒める。

決して無理をしているなどということはなく
、単に心の中の「バッカスの井戸」への呼び水を
危惧しているだけなのだ。
古代ローマのかくも悩ましき午餐に溺れる野蛮人、それが僕だった。

“つめもの”が外れたのは、「お暇を頂戴します」ということなのか?
平生は食べつけない迫力に圧倒されたのか、ポロリ。
10月からのCDの録音を前にして、ちょうどいい機会かも知れない。
まずは口腔内をすっきりさせてから、「ハァ〜ッ」とマイクに向かおうとする心構えの僕だった。

 

 

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2002.9.28 やわさんだい 

数年前から、テレビを視る生活を送っている。
ノンフィクションが好きなので、報道番組にチャンネルを合わせることが多い。
深夜に繰り返し流れるニュースを、内容を覚えるかの如くぼんやり受信することもある。
「全力放送」と言う語を用いて自局のPRをしているところがある一方で、
「減力放送中」と表示しながら深夜用の画像を放映する局もある。
前者と後者の謂(い)う“力”はその意図を違えているとは感じつつも、
若干の苦笑を誘う対比ではなかろうか。
ちなみに、“減力”とは放送出力を減らしているという意であろう。
「減力でも全力、全力ゆえ減力。」
暫く独り言が続いた。

秋分の日と春分、昼と夜の長さがほぼ同じになる。ここから考え始めてみると
秋分の日の翌日は、秋分の日の前日とその昼夜の長さがほぼ近いものになるのだろうか。
10月23日と2月22日とか、11月24日と12月21日とか、昼夜の割合が近ろう日の組み合わせを
思い浮かべるようになって、既に幾年が過ぎたろうか。
冬至が来て、再び昼が長くなり始めるのが楽しみな僕。
一年という時間は、冬至と夏至を往復する単調な反復と捉えているのかも知れない。
こう考えると、気のせいか365日は速く進む。呆けたいときにうってつけだ。
2月20日を過ぎると、「秋の夜長」と言われ出す9月の日(昼)の長さを思い出す。

「秋の夜長はつるべ落とし」を逆回しで味わっているのだな、と嬉しくなる。
……そんな記憶が、つるべの向かう井戸の奥から引き上げられるようだ。
永久機関を目の当たりにして思うのは、以上の通り、かな?

水甕に自信のない福岡市に、今月数度目の雨。
その雨の中僕は生まれて初めてお通夜に参席した。
作者は高峰秀子だったろうか、国語の教科書で見かけた「黒を着るには覚悟がいる」
と綴られた文章に思い及んだ頃、弱まった雨足の中で家路を進む僕が在った。

 

 

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2002.10.08 中国の「壁」 

鉄のカーテンのことではない。
壁とするより、「塀」としたほうが的確だろう。

今日のニュースで、北京のドイツ人学校の塀を乗り越えて行く人々の姿を見た。
おそらく世界的に報道されているかと思うが、中国国内の「塀」の多くは
乗り越える者に優しくないことに言及している取材報告は今のところ僕は目にしていない。

初めて中国で印象に残った塀は、その上部に割れたガラス瓶の破片が埋め込まれていた。
「ここまでして侵入者を防ぐとは、相当な念の入れ様だ」
と感心する僕の目には間髪入れずに隣家の塀が入って来る。
これまた鋭利な輝きをそのままにした硝子片が刺さっている。
中国ではごく一般的な塀の姿だが、流石に見慣れるまでは痛々しさを覚えて止まなかった。

このように、外部からの侵入者に対しては心理的のみならず物理的にも厳しい塀が多い中で、
テレビの画面に出て来たドイツ人学校の塀は、関係者以外にも優しそうだった。
乗り越えていった人々に怪我した様子はなく、満悦の雰囲気が漂っていた。
親切な塀なのだ。

 

 

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2002.10.25 生ムギ生ゴメ生タマゴ(前編)

博多では、多くのラーメン店が麺の茹で具合を客の注文に合わせてくれる。
「ヤワ」「普通」「カタ」と告げるのが日常である。
麺だけの追加は「替玉」として今では他地方でも知られているものも、同じく茹で具合を指定、
譬えれば「替玉 カタ(固)麺で!」という塩梅で、できる。

以前、この茹で具合の注文を「バリカタ」としている人がいた。
これよりも固いものになろうか「ハリガネ」と注文する人もある。
「固」さは、茹で時間の短さと比例する。
「バリ」とは程度を強める意、つまり「とても」「すごく」であるので、「バリカタ」の方が
「カタ」よりも茹で時間が短い。
ハリガネのように塑性の虜になって、ほぐされてもいない状態。
数秒湯通ししただけで、ラーメンスープの中にボチャン、と放り込まれるのが
「ハリガネ」の筈だ。

初めてこういう頼み方があると知り得たのは20代の前半だったろうか。
「ヤワ」「カタ」までは辛うじて認識していたものの、流石に「バリカタ」(ベタカタとも)
一瞬その味覚がこの耳を疑わせ「ハリガネ」に至っては口腔内の粘膜に
刺さらん迫力を鼓膜に覚えた。

そのときふと思い出したのは、江戸時代の拷問だったが、「生米を延々食わせる」ものだ。
口を通すこと自体は楽だろうが、胃に入って以降、水分を吸った米粒が膨張し得も言われぬ
苦しみを与えるらしい。
「生」っぽいものを食べるところから連想されたものが、この「生ゴメ」食わせだった。

誤解のないように記しておくが、博多で出て来るラーメンの麺の量はその茹で具合とは無関係だ。
勿論、「固」さに拷問性は期待や加味されてはいないのが通常(当然)だろう。

ただ、当時の僕は「生ゴメ」食わせを思い浮かべるほどに、「バリカタ」が受容できなかったのだ。
「普通」でも他地方のラーメンと比べると、まだ茹で方が足りないと言われることもある
博多ラーメンの「バリカタ」、この画面を閲覧中の諸氏諸兄は如何お考えだろうか。

 

 

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2002.10.25 生ムギ生ゴメ生タマゴ(後編)

友人の話で恐縮だが、アメリカの映画「ロッキー」の第何作かの中で
トレーニング中のシルベスタ・スタローン扮するロッキー(だったよな?)が
生タマゴを何個も割ってボールに入れては一気呑みする場面があり
それにいたく感動して同じようにしたらしい。
タマゴを呑んだ後は走るシーンが続いていて彼もまた同じく走ったという。
その後のスタローンのシーンはさておき、彼のシーンは過激な運動に起因するものなのか
その原因は不明だが、嘔吐で結ばれたそうだ。
・・・・・・・・これも見方次第では立派な拷問ではなかろうか?
前編で触れた「生ゴメ食わせ」と性質こそ違えど、似た「生」っぽさには充分に苛まれる。

「生ムギ生ゴメ生タマゴ」を早口で言うようになってどれくらいの歳月が経ったのだろうか?
詳しくは知らないが、もしやこのアイテムは曽て拷問性の高さが故に並べて称されていたと
考えるのは、やはり愚の骨頂なのか?「生ムギ」の謎も深まっていく。
「赤マキガミ 青マキガミ 気マキガミ」っていったいどんなプレイなんだ?
詮索もここに至ると“○○額”っぽくなる。

さて、この詮索のそもそもの発端は、「バリカタ」だった。
ラーメンの麺を極めて短い時間で茹でる、或いは湯通しすることを指すこの語を耳にして、
火のよく通っていない生モノを口に通すような不安を抱いたことだった。

そんな時代もあった僕が、昨日食べたラーメンも「バリカタ」麺で注文した。
替玉も「バリカタ」。食が細まったのか、普通の茹で方で出されると些か食べづらく感じる。
腹の中で若干膨れるのだろうが、口当たりは「カタ」よりも「バリカタ」の方が好みになった。

博多ラーメンは、「なるべく速く茹で上がる」ように細い麺となったそうだ。
忙しく働く魚市場の人々に出したのが、今日のレシピの母体と聞いている。
「カタ(固)」さは、つまり迅速第一の市場の労働から生み出された知恵だ。
ファーストフード、そのものなのだ。
一刻一秒の争いに疎い僕が最も近い「戦場」の味、そこに接近しつつあるのかもしれない。

 

 

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2005.09.18 偶然は、その実、必然である
夏を数えた。
単純に言うなら、生まれてから現在までに過ごした夏を数えてみた。35個である。
夏に生まれたせいなのか、この季節には、人生のビッグイベントがよく起こる。
そして、夏から秋、秋から冬、冬から春、へと変わり続け、梅雨で一休み。

昨年9月の沖縄初訪問から、僕の人生は亜熱帯に赴くたびに動きがある。
今年に入って、3月には再び沖縄、4月末から5月初めにはキューバ、
6月の梅雨の盛りには3度目の沖縄、そして其処から足を伸ばした台湾、
7月には奄美・・・ライブ活動もさることながら、
久しぶりに旅好きの自分が戻って来ている。
しかし、以前と趣を異にするのは、
どこへ出向くにも“歌を携えている”という感覚が強くなっている辺りだろう。
既に現地入りしていた古賀馨氏のご紹介の甲斐あってか
毎日が歌の宴となった6月の台湾訪問にも劣らず、
7月の奄美訪問は極め付けだった。
11年前に長崎県諫早市のイベントであったのを最後に音信不通状態だった願!まゆみ氏(Percs./Vo.)とばったり再会。
この日の共演者が、以前のバンドメンバーだったとのこと。
彼女は、前日に催された奄美大島内のイベントに呼ばれていて、本来なら僕のライブの日も別な島でのイベントに出演する予定だったが、
奇しくも台風5号接近により中止。こんな偶然が重なり、再会したのである。
・・・その後、数合の黒糖焼酎が酌み交わされ、
1200kmを駆け抜ける遠距離出会い系ユニット“減肥脂・願!”を結成した。

「偶然は、その実、必然である」・・・。

 

 

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