2006.9.28 帰国記念ライブ
中国から戻った翌日の9/21(木)、
“也許文吾帰国記念「文吾堂」”というイベントに出演した
(大阪 千日前クラブウォーター タイトルは、ひらがなに改名前に決定)。

何故、帰国記念・・・なのか。
その理由をライブ中に話せなかった
(久しぶりの日本語のMCに舞い上がって、他の話題で回転数を上げてしまった)ので、
ここ文悟文電脳版で触れたい。

要は、外国から帰って来た記念ライブなのは、タイトルからも一目瞭然だろう。

・・・では、どこから帰ってきたのか?

チベット、現在では中国のチベット自治区となっている場所からだ。

話は香港が中華人民共和国に返還された翌日の1997年7月2日に遡る。
この日の朝、僕は同国雲南省のある町をバスで離れた。
雲南省と接する四川省の町に向かっていた。
近々催される友人の結婚式に出席する為、一時的に四川省経由で日本に戻り、
そして再び中国に来て、チベット自治区に行く旅の途中だった。

しかしその旅程は、昼食後に起きた出来事により封印される。
乗っていたバスのエンジンが爆発、僕は負傷。
雲南省内で入院、そして手術を受け、二週間後に日本へと友人と家族の助けを得て移送されたのだ。
両目を傷めたので見えるものが

「色の鮮やかなもの・輪郭のはっきりしたもの・素敵な人(笑)」

・・・などと限られこそしたが、幸いギターを弾いて歌える体は残ったので、年末から関西にも来れる程に。

その後、機会を得て霊的な能力のある人に、僕が事故に遭った理由を尋ねると、

「近付くな、ということだ。貴方が近付いてはいけない場所が近くにあった。
知らず知らずのうちに近付こうとしていたから、
あなたの心の奥深いところを流れる魂が事故の形で貴方に伝えたのだ」、と。

雲南省の事故現場のみならず、チベット人の居住する地域や、
ひいてはチベット自治区までもが僕の立ち入れない場所に思えた時期が続いた。

・・・(中略)・・・

ここ数年でチベットに入れると再び確信した僕は、この8月の誕生日の翌日、中国、
勿論チベット自治区を目指し発った。
お寺に歌を奉納しながら旅を進める気満々で中国は青島の陸に立った。
前途洋洋を願わんばかりだったが、チベット仏教のお寺本堂での“歌の奉納”はどうやら認められず、
チベット自治区に入る遥か手前の四川省内で早々に出鼻を挫かれ、
グシャッグシャッグシャッ(落)! 

皆さんもご存知の通り、このか弱く華奢な体の高山順応を僕なりに
優先したルートでのチベット自治区入りを図った為、すんなりとは旅が進まなかった(笑)
が、最終的には9/9にチベットの中心地であるラサ到着。

9年越しのトラウマと言うのか、思い故の喉の痞(つか)えが取れた。

という訳で、僕が思いを馳せたチベット探訪からの帰国記念として、
クラブウォーターのジミーさん他皆様のご厚意に依り、
今回の“文吾堂”開催の運びとなった。

ご来観の皆様、ご共演のヂョイフル活性炭・カズエ+エビハラミキオ=吹く風・三上和彦
(以上、メンバー数多い順)のお三方にも、この場を借りて、改めて感謝の意を表したい。

次回の“文吾堂(次は、文悟堂、若しくは、もんご堂・・・かも?)”
の時はどこから帰ってきましょうか、とライブ後にジミーさんと話したりした僕だった(笑)

 

 

 

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2006.9.9 ラサ

文悟堂ホームページをご覧の皆様、

駆け出したばかりの秋を如何お過ごしですか?

やもともんご、

本日お昼過ぎにラサ(中国チベット自治区の中心地)に着きました。

ここ10年来の念願の場所、ラサを訪れることができて、感無量!です。

この気持ちがこれからの作品やライブにどう反映していくのかが、

僕自身楽しみです。

トゥジェチェ&ありがとう。

 

 

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